そう言って抱き上げられた俺の娘は、小さい両手で俺の首を抱き締めてくれた。
その光景を見てか、周囲の母親達の警戒する視線が消えたようだった。
まあ、普通はそうだ。誰が親なんて一目では分からない。
――自分の子供を抱き上げながら、ふと何時も考えてしまう。
俺の親父は抱き上げることも。迎えに来るなんて尚更。
一度もしてくれなかった。俺に対して。
父親の会社は小学校の近くにあった。気持ち大きめの通りに出た通りに。
コピー屋。印刷物を扱う会社。先代から親父が受け継いだ。自宅も会社から遠くない。
三十年前位だ。バブル期入る直前か。
老舗の工場でもないが親父の会社は早朝から稼働していたようだ。低学年の俺が朝起きる頃には、親父はもう仕事場にいた。
集団登校。近場の子供達が朝に集まり学校へ行く。自分よりも高学年、低学年達と一緒に行く。
学校は実家から近い、という事は親父の会社もだ。いつもの登校経路。そう、親父の会社の前を通る。
早朝から稼働して一段落つく頃。丁度、登校時間帯だ。
親父はいつも煙草を吸っている。あの会社の玄関脇にある特等席で。ふんぞり返りながら。
旨そうに肺へと吸い込み、気持ち良さげに大量の煙を空へと吹き上げる。
前を通過する小学生の集団を見ながら、子供達に別に挨拶を交わすことなく、親父は煙草を旨そうにふかしていた。
――そして俺もその親父に挨拶はしなかった。
俺は親父が大分、歳食ってからの産まれた子供だった。他の子の親が二十、三十代なのだが、その頃にはもう親父は五十代近い。見た目と雰囲気から爺さん呼ばわりされても文句は言えなかった。
自宅でも、恐らくは仕事場でも寡黙な親父。人付き合いも苦手だったんだろう。そんな男が他人の子供と挨拶なんて交わす筈もない。
無愛想、そして煙草の煙だ。
他の子供達も煙たく、気持ち悪いとも思っていたかも知れない。
俺はいつも、朝は小学生の列に紛れ、気付かれないように俯きながら親父の前を通り過ぎていた。
「なんでパパきたの?」と娘が不思議そうに言った。
「なんでって……朝、一緒に起きてたろうが。今日はパパ、仕事休みだよ」