タッくんの声とともに急ブレーキが踏まれて前のシートにつんのめった。
「大丈夫?どうしたの?」
お母さんがタッくんを見た。
タッくんは前を指差している。
「オットセイ」
僕とお母さんは前を見た。
「オウオウオウ、オウ!」
一頭のオットセイが海に向かって道路を横切っている。
「近くの水族館から逃げたのかな?」
タッくんは結構冷静だ。
「さあ…」とお母さん。
三人で目を丸くしているとオットセイは道路を渡りきって視界から消えた。
「ユウちゃん見えたの?」
タッくんが僕に尋ねた。
「…うん」
本当は『お父さん』を誤魔化しただけなのだ。
決して、そうとは言えない。
車は再び動き出した。
オットセイの出現でタイミングを逃してしまった。
ここで『お父さん』と言うのは『オットセイ』よりも唐突過ぎる。
いや、もしかしたら、逆に自然だったりするかもしれない。
思い切って『オヤジ』と言ってみるのもありなのかな?
ないな…
普通の小学生は何と言っているのだろう。
何せ、僕はその類の言葉が日常的にないのだ。
言葉どころか記憶もない。
僕が知っているのは写真の中で赤ん坊の僕を抱くお父さんだけ。
お父さんと話したことも呼びかけたこともない。
聞いたことがあるのは、お父さんはスーツで会社に、ダディとキャンプに、パパと…
そうか『パパ』があった。
これを言ってみよう。
一方で不安の種があった。