いま私の目に夏目漱石が映っている。ここは森鴎外も住んだという本郷千駄木町五十七番地、現在の彼の住居である。後の大文豪は明治三十六年からの四年間、この家で暮らした。『我輩は猫である』『坊ちゃん』『草枕』『虞美人草』等の作品が書かれたのも、ここだった。
英国から帰朝して一年後の三十七年七月二十日の午後、八畳間の座敷において東京帝大英文科講師・夏目金之助は〝猫〟の着想を得るはずであった。そうして速やかに書斎へ赴いて筆を取り、あの記念碑的一行を書き出すのである。小説家・夏目漱石誕生の瞬間に居合わす事ができる―。私はつくづく、この仕事を続けてきて良かったと思った。
『ドキュメンタリー・文豪』は、わが社の開局一世紀記念事業として企画されたものだ。肖像や文献でしか知ることのできなかった作家たち。PVの普及によって、彼らの生きた時代をありのまま映し出し、その真実の姿を知る事ができるようになった。さしあたって近代作家三十六人が選ばれ、スタッフにも一流の人選がなされた。そこにカメラマンとして起用されたのが私だった。名誉なことであるし、自負もあった。しかし実のところ、私は断ろうと考えていたのである。その理由は二つあるのだが、漱石への想い断ち難く引き受ける事にしたのだ。
多元宇宙観照装置(Live‐the‐Past‐system)通称LPには、「過去を生かす」という意味がある。あたかも歴史上の人物が蘇り、彼らを実地に取材してきたかのような映像を作れるのだ。また、あまり良くない意味を込めて「過去を実況する」といわれる事もある。やろうと思えば、偉人の私生活をゴシップ的に〝覗き見〟れてしまうからでもある。PV(Past‐Vision)はそれに習っていえば「過去を録画する」ものだ。
漱石は居間で寝転んでいた。私はまんじりともせずにその姿を撮っている。陽はまだ昇ったばかりだ。決定的瞬間までのあいだ、おさらいをしておこうと思った。
午前中に高浜虚子が訪れる。漱石が神経衰弱の良くならない事をもらすと、『ホトトギス』にまた何か書いてはどうかと勧められる。昼になり、虚子と食事を共にする。彼が帰ったあとへ、出入の按摩がやってくる。座敷で施術中、書生が生まれてまだ間もない黒猫を連れてくる。按摩が「福猫」だと言い、漱石の妻・鏡子がそれを聞いて喜ぶ。漱石の頭に『ホトトギス』へ書く題材が閃く。
言うなれば、まさに一瞬の〝目〟を映すのが、カメラマンの仕事だ。才能の発する火花とでも言うべきインスピレーションの瞬きは、瞳に宿る。願っても叶わないと思っていた芸術家達の目を撮れるのだ。すごい時代になったものである。私は緊張のあまり、全身の毛が逆立つのを感じた。それは同時に、不安を伴っていた。いけすかない顔が心ならずありありと目に浮かぶ。