小説

『おやゆび姫 -後編ー』泉谷幸子(『おやゆび姫』)

「デンマークに帰ろう」
 愛する王子様が死んでしまって泣き暮らした後、おやゆび姫はそう決心しました―――

 王子様との南の国での生活は、それはそれは楽しいものでした。毎日たくさんの花に囲まれ、甘い蜜をいくらでも吸うことができ、妖精たちととりとめもない話をしたり、お昼寝をしたり、自由気ままに過ごしていました。みんなにもらった銀色の羽根も嬉しく、ひらりひらりと花から花へ気まぐれに飛び回ったりしました。でもそれは永遠ではなく、花が枯れると妖精たちも消えてなくなってしまうのです。おやゆび姫は、ここに来てしばらくしてそのことを知りました。そして数か月してついに、恐れていた事態が起こりました。王子様の花が徐々に生気を失い枯れたことで、美しかった王子様もみるみるやつれていき、ある日露と消えてしまったのでした。思えば儚い命でした。そしておやゆび姫は、ふたたび寄る辺なき身となったのでした。
 考えてみれば、これまでなんと波乱の人生を送ってきたことでしょう。おやゆび姫が魔女に命じられたのは、お母さんの子どもとして生まれることでした。そして訪れた幸せな生活。しかしそれも束の間、ヒキガエルのおばさんにさらわれて愚鈍なその息子と結婚させられそうになり、それを気の毒に思った魚たちがおやゆび姫の乗っていたハスの葉の茎を食いちぎってから長い間、放浪の身となったのでした。モンシロチョウにひもをつけて川を下ったり、突然コガネムシにさらわれたり、野原に放り出されて雪の中をさまよい歩いたり。寒さで死にそうになっていたところを野ネズミのおばさんに救われやっと安住の地を得たと思っていたのに、醜いモグラと結婚することになって絶望的になったこともありました。こっそり介抱していたツバメが式の直前にさらってくれたことでそれは免れ、南の国に来たおかげでふたたび安住の地を得たと思っていたのに、それも終わりを告げてしまった・・・。
 運命に翻弄されるまま流れるように生きてきたおやゆび姫でしたが、あらためて本当になすすべがなかったのかと自問してみると、実はそうではなかったのではないかと今さらながら思うのでした。少なくとも、モグラと結婚する気はないと野ネズミのおばさんを説得することはできたのではないか。おやゆび姫が考えたのはまずそのことでした。おばさんはそれまでの生き物とは違い、おやゆび姫のことを心から思ってモグラとの結婚を勧めたのでした。式直前まで我慢したものの、思わぬツバメの出現により急遽黙って逃げ出したのは、全くの恩知らずの行為ではなかったか。いやそれ以上に、その後おばさんがモグラに対してどのようにお詫びをしたかを考えるにつけ、恩知らずどころではなく、恩をあだで返すほどの行為ではなかったか。おやゆび姫は考えれば考えるほど、これまでかかわってきた生き物たちにお詫びや感謝の言葉も伝えていないことに、居てもたってもいられない気持ちになるのでした。

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