小説

『帽子の底』百々屋昴(『王様の耳はロバの耳』)

「なあ、墨田ってなんでいつも帽子かぶってんの」

 下の名前を思い出せない同級生が、前の席からプリントを回しつつ言った。僕は「ああ」とか「いや」とか曖昧な返事を漏らす。うろたえる僕への興味を彼は失ったようで、そのまま前に向き直った。
 黒いニット帽。毛糸の内側に押し込めている、ロバの耳。頬が火照る。帰りの会の内容なんか、もう頭には入ってこない。

 物心ついたばかりの頃は、こんなもの無かった。少なくとも、その頃の写真を見る限りでは。
 背が伸びるにつれ、耳も大きく育っていく。
 僕の表情は陰っていく。
 父さん母さんの表情も。

 起立、という声で我に返った。椅子を鳴らして立ち上がり、みんなと同じに礼をする。机の横に提げていた鞄を引っ掴み、俯きがちに教室を出た。早足で廊下を進み、靴を履き替えた辺りで失速して、後は通学路をのろのろと辿る。
 玄関の扉はいつも重たい。
 一方的な「ただいま」を投げつける。自分の部屋に飛び込んで、鍵をかけて、それからようやく窮屈な帽子を脱ぎ捨てた。

 かぶりたくてかぶってる訳じゃないし。

 言えなかった一言がずっとこだましている。なんでもいいから雑音が欲しくてテレビをつけた。平坦なニュースやら興味のないCMやらをじゃかじゃかと切り替える。
 夕方のバラエティ番組が映った。作り物の長い耳をつけた芸能人が馬鹿騒ぎしている。誰も彼もがげらげら愉快そうに笑っていた。

 お前らのは取り外せるからいいよな、なんて。
 テレビを消した。スマホを握る。よせばいいのに、SNSの検索窓へ番組名を打ち込んだ。
 大した内容は出てこない。このコーナーが良いとか、紹介された店に行きたいとか、偽耳のタレントが好きだとか。
 ざらざらと文字を流していく。その時不意に、前触れ無く、毛色の違うコメントが飛び込んできた。

『悪趣味』。

 番組名に付け加えられた、たった三文字を凝視する。遅れて、そのアカウントのアイコンが目に留まった。
 見知らぬ女の人が、長い耳を晒して映っている写真だった。

 ざあっと頭に血が上る。穴が開きそうなほどに狭い画面を凝視する。耳だ。すらりと伸びたロバの耳。木の葉に似た切れ長の縁は、大小様々な銀色のピアスで彩られていた。

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