「『大きな美容室と違って、シャンプー・カット・カラーリング・ブローを全て一人で行うので、お客様と一対一で向き合えるのがうちの強みです。とオーナーの矢島友明さん(25歳)は人懐こい笑顔を浮かべた』。この人懐っこい笑顔ってところにイケメンと言い切れなかったライターの苦心が窺えるわ」
「お前が言うな」
大声で雑誌記事を読み上げる妹の麗美のイジリは、さすがに慣れた。男の俺より圧倒的に差別を感じているのは、妹の方だと思うから。
「で、女性誌に載ってからお客さん増えたの?」
「イマイチ」
「ちぇっ、バイト代上げて貰おうと思ったのに」
表参道の大手美容室から独立して半年。何とか暮らせてはいるものの、駅から遠いせいか、なかなか客足が伸びない。
それなのにヘアメイクの専門学校に通うため、俺の部屋に潜り込んで来た妹は、この店の主のごとく振る舞い、賃上げまで要求しようとしている。
「もう今日はお客さん来ないよ。早く閉めようよ」
「そうはいかないの」
「『本日は研修のため17時で閉店です』って張り紙しとけばいいじゃん。個人経営の利点を生かそうよ」
夕方の5時だというのに、今日は誰も来ない。
こんなことはオープン以来、初めてだ。夕方から雪になるかもしれないという予報も出ていたので、この後も期待できそうにない。
「2人居てもしょうがないから、麗美は上がっていいや」
ラッキーと麗美が喜んだ時、店のドアが開いた。
そこに立っていたのは、髪がぺしょっと濡れた暗い顔をした20歳ぐらいの女性だった。
「あの……、予約してないんですけど、いいですか……」
長い前髪の間から上目遣いでこちらを見ている目が、心もとなかった。
「もちろんです」
俺と麗美がユニゾンで応えてしまい、俺らが笑ってもクスリともしない。
「コートとお荷物、お預かりしますね」
麗美が明るい声で対応する。
そして俺の横を通り過ぎる瞬間、ささやいた。
「女神降臨」
確かに客がいない美容室を救ってくれる女神ではあるけれど、こんなどんよりとした暗い女神はさすがにいないだろ。たぽっとした黒のワンピースに黒髪ロングのせいか、女神というより、どちらかというと魔女っぽい。
椅子に座った彼女の首にタオルを巻きクロスをかけながら、何か話さなければと思った俺は、当たり障りない天気の話をした。
「もしかして雪、降って来ました?」
「はい」
「ボタン雪ですか?」
「はい」
ここで会話は途切れてしまったが、彼女の髪がぺしょっとしていた原因がわかったから良しとしよう。
「今日はどのようにいたしますか?」
「似合う髪型にして下さい」