SOMPO認知症エッセイコンテスト

『彼と彼の父』室市雅則

 これは彼から聞いた話。互いに芋焼酎を片手にしていたので、事実とは違う部分もあるかもしれない。でも大筋では合っていると思う。

 彼は京都の先斗町にあるバーの店主である。僕がそこを知ったのは、十五年程前。彼は三十代で、僕は二十代。その時、僕はバーに行ったことがなかった。でも、二十歳を超え、それくらい経験せねばと思い至り、勇気を奮って入ったのが、彼の店だった。照明が極端に暗く、不安だったが、酒もつまみも美味しく、その後、観光のたびに寄り、京都に住んだ時には、週に一度のペースとなった。京都を去った今は、『観光のたび』に戻った。
 そして、先日、彼の父が認知症であったことを聞いた。他にお客さんはいなかったし、僕がこのエッセイコンテストの話をしたから、参考になればと聞かせてくれた。

 彼の父は役所を勤め上げた真面目な男だったらしい。少し気弱な部分もあり、それをカバーするためか、すぐ顔を真っ赤にし酔うくせに酒をよく飲んだ。そして、唯一、歯向かわない妻、つまり彼の母親に手をあげたらしい。
 彼の父は、定年退職後、畑で農作業に勤しんでいたが、夜に酔い潰れるほど酒を飲んでいたらしい。
 一方で、彼は大学生の時に実家を離れてから、新幹線で実家に帰るのは年に数度もなかったので、酔っ払いとしか映らなかった。無論、母から父の振る舞いを聞いていたので、諫めたが『分かったよう』と決まりきった文句を言うだけで終わっていた。

 日々が過ぎ、彼は五十代となり、彼の両親は八十を超えた。
ある日、母から『お父さんが苦しんでいる』と助けを求める連絡が入った。
 どれだけ急いでも二時間は超えるので、まずは救急車を呼び、兄と姉、近所に助けを求めるように伝え、彼は実家へ向かった。
 着くと、父親は苦しんだまま家にいた。助けの人もいない。母に問うと『お父さんが嫌がっているから』とあった。
 父からは『おしっこが出ない』と聞いた。冷や汗を浮かべているし、顔色も悪い。彼は救急車を呼んだ。しかし、父は『行かない』と頑なに拒んだ。だが、救急隊員から『もしかしたら腎臓に』とあり、彼は救急隊員と父を担ぎ、病院へ運んでもらった。

 結果は、前立腺肥大により腎臓が弱くなっているとのことであった。酒をやめさせることが大切だと聞いた。
 数日入院し、父はオムツを履いて帰宅した。オムツは相当に嫌がったようだ。一方で、彼は家中の酒を捨てた。自分も酒が好きだが、止めさせるために我慢することにした。
 父に断酒宣言をすると『なあなあ、ちょっとだけな』とか『こっそり飲めば分かりゃしないよ』とあったが、それは拒否したらしい。
 彼が実家に滞在している間、彼の父は酒を一滴も飲まなかった。しかし、不思議なことに気がついた。
 これまで酔っているから、威圧的になったり、勝手に外出をしたりしていたのだと思っていたのだが、酒が抜けてもその行動が変わらなかった。
 不審に思い、再び病院に連れて行くと、アルツハイマー型の認知症であると判明した。
 兄、姉、母と集まって家族会議を開いた。兄と姉は近くに住んでいるが、すでに家庭がある。だから、母は遠慮し、独り者で自由が利く彼に助けを求めたのだった。だが、彼も店を営業せねば、収入がない。だから、父を施設に預けることにし、見つかるまで彼が父の面倒をみることになった。

 初めて父と長く一緒に過ごしたらしい。子供の頃からろくに話すこともなく、あまり父のことを知らないことに気がついた。だが、何を聞いて良いかも分からなかった。
 きっと自分が赤ん坊の頃にオムツを替えてもらったこともあるだろうが、今度は彼が父のオムツを替えた。初めてまじまじと父の肉体を見た。自分のそれと見比べると似ている気がし、親子であることを痛感した。
 父は酒を飲むために、威圧や甘えをみせ、隙があれば、外を歩き回ったので、気が休まらなかった。また、食事の後『まだ食べていない』と言ってくるので、あえて食器を片付けず、『これ』と食卓を見せ納得をさせた。認知症は、人間であることが剥がれるのではなく、生きる延長線上にあるように感じた。
ついに施設が見つかり、彼は京都に戻った。それから月に一度は顔を見せる暮らしとなり、認知症となる前よりも会い、会話をする回数が増えた。

 そして、少し前に彼の父は亡くなった。
人生の中で、最も長く父と過ごしたのは、父が子供に還っていくような感覚を味わう時間だったという。見栄も虚勢もない父の芯に触れ、可愛らしく思えた。許容と感謝が浮かんだらしい。
病で亡くなったが、病がなければ彼と父の距離は縮まらなかっただろう。『病気は嫌だけど、悪くないかもね』と彼は締め括った。

 実際は聞いた以上に大変だったはずだ。だから、安易な感想はやめた。きっと天国で彼のお父さんは好きなお酒を飲んでいるだろう。そこへ差し入れはまだできないので、代わりに彼に『お代わりと良かったら、もう一杯』と伝え、乾杯をした。