私が薬剤師として介護施設の所属調剤部に従事していた頃、忘れられない女性がいます。仮にキョウ子さんと呼ばせて頂きます。
キョウ子さんと初めて出会った時、キョウ子さんは他の入居者さんと交わる事もなく、セルロイドの人形を両手で握りしめ、ソファアで一人佇んでいました。
何を話しかけても無反応。困惑している私を可哀そうに思ったのか、近くに座っていた他の入居者さんが、「そのばぁさん、ぼけちゃってるから、話しかけても意味ないよ。」と助言されるあり様でありました。 担当ケアマネジャーさんによると、一緒に入居していた夫に先立たれ、以前から患っていた認知症がさらに進行してしまい、更にはうつ病も併発してしまっているとのこと。食事もケアさんが口まで運び何とか食べている様子。案の定、私が調剤した薬も吐きだすことが多いそう。当時若かった私は、職務信念にそりゃぁ燃えました。
食欲がないキョウ子さんに経口栄養食を調べ挙げて、担当医師に情報提供をしたり、飲み込みにくい錠剤をミキサーでつぶして飲み込み易くしたり、飲み薬を張り薬に切り替えられないかメーカーさんに問い合わせたりなどあらん限りの努力をしました。
しかし、一向に食欲はなく、薬の服用状況も芳しくない。施設訪問するたびに、小さくなってゆくキョウ子さんに一抹の寂寥感と無力感を感じていたのでした。
とある施設訪問日、入居したばかりと思われる初老夫婦が仲睦まじく、廊下を歩いてみました。奥様をよく見ると、あのキョウ子さんではありませんか。後をついていくと、レクリエーション会場にたどり着きました。会場に着いたとたんに、「うぁ、新婚さんがやってきた。」と先生も囃し立てる。満更でもないキョウ子さん。レクリエーションのテーマは詩吟。先生すかさず、「キョウ子さん、謡って。」「私できないわぁ。」初めて聞きましたよ。キョウ子さんの声。あれだけ私が話しかけてもうんともすんとも言わなかった癖に。「いいから読め。俺が聞いていてやる。」と「ご主人」。顔を赤らめながら謡うキョウ子さん。
茫然自失の私は、ケアマネジャーさんにこの新婚「夫婦」のことを伺うと、「ご主人」が入居した途端、あっという間に「夫婦」になってしまったそう。幸か不幸か「ご主人」も認知症を患っており、二人の関係にとってその点もいい塩梅だそう。施設の皆さんで話し合った際に、当然二人の関係を疑問視する声も上がったそうだけれど、暫く様子を見ることになったらそう。「なにしろ、あのキョウ子さんがあそこまで楽しそうに元気に過ごしているのですからね。」と担当ケアさんも失笑気味。
帰りがけに「ご主人」の部屋をのぞくと、なにやら会話が。「お茶!」「はい。」「早くしろ!」「はい、すいみません。」まるで昭和のファリミードラマを垣間見ているみたい。入り口近くにある戸棚にいくつか紙が丸めておいてあるのは、キョウ子さん手製の白いお団子なのでしょう。
思うに、認知症の人たちに医療チームができることはたかが知れており、(全力尽くしていますよ。もちろん。) 認知症の人たち、ひいてはケアが必要な人たち自身が相当な潜在能力があり、当事者どうしでの「ケア」「意思疎通」が一番の本人達の活力になっていくのではと感じた次第であり、いまでもその気持ちは変わりません。
だってそうでしょう。ご飯も一人で食べれなかった方キョウ子さんが、おだんごまでつくちゃうんだから。まったく。