小説

『裸のオーサワ』丸山肇(『裸の王様』)

 4歳になった孫の将平を膝に抱いていると「おじいちゃん、お口臭い……」って言われたんだ。それって「オレが今まで『裸の王様』だった」っていうことだろうかと思ったね。
 オレは大澤平蔵。オーサマじゃなくてオーサワだ。小学生のころ「裸のオーサワ」とからかわれたことは一時的にあった気がする。深い意味は無かった。今は本当に「裸の王様」かもしれない。小さな会社でも会長の身、ワンマンとして通して来たから、だれも逆らわない。大澤平蔵エンタープライズの社員一同、もしかしたら、会長の口臭に我慢し続けていたのに、だれも指摘できなかったのか? 子どものように「大澤は口が臭い」って言う社員はいなかった。
 当方は気にしたことは無かったが、今になって、隠れていた大きな自分の欠陥を知らされた感じだ。
 世間にも、家庭にもオレは怖い者がいない。普通は男同士の親子はどこかで対立するものだが、長男の一平が反抗した経験といっても、思い出せないほど小さなことばかりだ。一平は40歳になって社長に就任するまでも、その後も、父親のオレに楯突いたためしが無い。
 オレは会長になっていても、まだ一平に仕事は完全に譲り切れず、一部のトップセールスは残しているから、改めて口臭ケアをしなければと、孫のことばを聞いて思った。
 皆がオレの前では愛想が良い。口が臭いと思わせる素振りなど、だれも見せたことが無い。でも、それはやっぱり「裸の王様」状態のなせる業だったんだろうか? 本当は鼻が曲がるほど臭いのかもしれない。周りの者はみな、臭いことをできるだけ表情に出さず、オレの機嫌を損ねないように努めていただけだったのか? みんなの本心は聞けない。
 今さら歯医者へ「先生、このごろ口が臭いらしい」なんて言って行きたくはないなあ。歯科衛生士の女の子たちは、気まずそうにオレのことを見るか、何でもないふりをするかだろう。虫歯では無さそうだし、歯周病だろうか?
 胃や肺が悪くて息が臭いなら、鼻からの息も臭いはずだ。喉の奥には口臭のもとになる膿栓という小さな塊が発生して、下水道の臭いを凝縮したような悪臭がするらしい。その物体が出来やすい友人が、お茶を良く飲んで対処すると言っていたっけ。
 急にそんなことを思い出した。
 オレは年寄りのガラガラペッっていう行為が大嫌いで、汚くて周りに不快な思いをさせる年寄りは早くこの世から去れと思うほど腹立たしい。自分が膿栓というもので喉に違和感を持ったとしても、あれだけは絶対にしないぞ。

 そんなとき、うってつけのタイミングで後輩の薬剤師デンがやって来た。
 近所の幼馴染で、オレと同じように息子に事業を譲っているデン。デンこと田純一郎。2年後輩だが、いつまでも若々しくて、韓流で人気だったペ・ヨンジュンに顔も名前も似ているので、ぺ・デンジュンというあだ名がついていて「デン様」と呼ぶ主婦もいる。息子が経営する薬局のエンゼルドラッグで、手伝いをまだ続けている。トークは柔らかくて抜群にうまい。
昔からオレのパシリをよく引き受けてくれる。将棋を指したいときは、いつでも遠慮なく呼ぶことにしている。
 礼代わりにこれまで、養毛剤、膝痛にいいというサプリ、精力剤と、いろんなものを買ってやった。口車にまんまと乗って要らないものを買ったことも多々ある。体に良いといわれるものに関しては、金に糸目を付けなかった。量が多過ぎたり飽きたりで、使い切れていない健康食品、健康器具の数々が、押入か棚か引出のどこかで大量に眠っているはずだ。

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