「何不自由なく普通に女子大生やって卒業するってのに、なんでこんなことしてるんだっけ?」
ガサガサと枕の音を立てながら翔がこっちに顔を向ける。
「さぁ? 何不自由なく普通に会社員やって30歳半ばのくせに充分すぎるくらいの昇格してるのに、なんでこんなことしてるんだっけ?」
翔の横顔をじっと見て言うと、またこのやりとり、と翔が笑った。下腹部にべたつきを感じながら掛け布団をかぶってウトウトとして、目を醒ましてこのやりとりをすると、あぁこの時間が終わってしまう、と思う。
微笑みを顔に残したまま天井を見ると、家では使わないような白い花の柄が一面に広がっている。上半身を起こしてすぐそばの右側の鏡を見ると、狭い部屋の左側の壁が映り込んでいる。薄い緑色の壁に純白の布団、薄紫とピンク色のライト、垂れ流すように続く有線の流行曲。
私は何かの罠にハマっているんだろうか、という気になってくる。この世界には普段とか普通とかそういうもののすぐそばに急転直下の真っ黒の穴が空いていて実はそこに落ちたのかもしれないし、急に視界が開けたと思ったら、紫や緑のファンタジーな植物が生い茂っているところに迷い込んでいて、なんだか甘やかな匂いがして心地よい場所があると思えばピンクの蜘蛛が糸を張っていて、もうすでに私はがんじがらめなんじゃないか。でも、ここでならがんじがらめでもいいんじゃないかという気分になって、否応なしにカラダもココロも吸い取られていく。そんな感覚になる。
「ちょっと飲もうか」
翔が両手を天井に突き上げながら起き上がる。
「そういえばなんでいつも両手から起きるの?」
「え、そんなことしてる?」
してるじゃん、と言うと、ベッドに振り下ろした両腕を上げて、まじか、と言った。
「なんか誰かにひっぱり起こされてるみたいだね」
私が言うと、翔はちょっとなにか考えるように斜め上を見て、そうかも、と言って立ち上がった。
棚の中にピッタリ仕舞い込まれた冷蔵庫を開けて、コンビニ袋を引っ張り出した。瓶が冷蔵庫の淵に当たって、ガコンゴコンと音を立てた。
「やっぱりセックスのあとはこれだよなぁ」
翔は全裸のままバッグに手を突っ込んで携帯用の小さな栓抜きを出し、茶色の瓶を掴んでそのまま赤い蓋を栓抜きでクイっと開けた。
「なんでいつもそれなの?瓶で重いしなにかと割らなきゃだし缶ビールとかでよくない?」
「それがよくないんだなぁ。まだまだお子ちゃまだなぁ美夏ちゃんは」
お子ちゃま、という言い方がいつもムッと来る。
「そもそも私それずっと好きじゃないんだよね。まぁ確かにちいさめの瓶でラベルは黄色くて写真映えするしかわいいはかわいいんだけど」