「カウンターになるけどいい?」
細くねじり固められた豆絞りを頭に置き、几帳面に手入れされた口ひげを蓄えた強面の男が、焼き場から立ち上る煙に顔をしかめながら、不愛想に問いかける。
「はい、大丈夫です」
そう答えると、珠希は入口に一番近いカウンターの丸椅子を引く。
健一も珠希の後に続き、かぶっていたキャップをかぶり直し丸椅子を引く。ぎゅうぎゅうに客が詰め込まれた店内は煙で白く霞んでいて、何か別の世界に迷い込んだような錯覚を引き起こしてしまう。
私は初対面の客に対し、ため口で話しかける店員がいる店には入らないという持論がある。
どうしてもこの店の串焼きが食べたいわけではない。できればカウンターではなくテーブル席でお互いの身辺を長く深く話し込みたい。そう考えると、この店は条件を満たしていない。
「今日はホッピーが飲みたいんだよね」
健一のこの一言を優先させた結果、結局店を妥協する事になったのだ。
土曜日の19時過ぎとなるとどの店も混んでいて、2名だとカウンターでの案内になる。テーブルでの案内が可能な店はホッピーがなかったり、ガラガラで2名でも6名席を案内してくれるような店だと、何かあるのではと二の足を踏む。
「カウンターになるけどいい?」
実は、この男のこの言葉を聞くのは今日2回目で、1回目はもちろん断っていた。どの店にも入店できず、巡りに巡った結果、最終的にグルメサイトの評価が高いこの店に戻ることにしたのだった。
私はホッピーを飲んだことがない。本来なら、飲んだことのない酒の為に、店を妥協する事はまずない。しかし、今日は、持論を犠牲にしてでも健一が飲みたいといった酒を飲んでみたい気分だった。
カウンターには前客の名残か、煙草の灰とグラスから流れ落ちた輪っか状の水滴が残っている。健一はカウンターに置かれた薄いダスターでそれを拭きながら、ドリンクメニューを私に渡す。こういう動きを違和感なく着席して早々にできる健一を尊敬するし、本当は女である私が動かなければいけないのかと思うと、少しの罪悪感を感じる。胸に「ヤン」と書かれた名札を付けた店員が、慣れた手つきで取り皿と割りばし2セットを運んできた。
「ホッピー2つで」
私は健一の確認を取らずにオーダーを伝えると、ヤンさんは食い気味でカウンター内のドリンク場に向かって「ホッピーセットツー!」と叫びながら、足早に立ち去る。
セット?ヤンさんの独特のリズムはそれ自体が1つの単語のように聞こえる。
「ホッピーって黒もありますか?」