夏美はT駅前にできたばかりの居酒屋の、真新しい暖簾の前で立ち止まった。暖簾と言えば、赤ちょうちんと共に年季の入った印象しかなかったが、ああ、新しいのもあるんだなあ、と当たり前のことに気が付いた。
暖簾の奥で先に待っているはずの高木と、今日から新しい関係が始まるかもしれなかった。
夏美は暖簾で前髪が乱れないよう、気を付けながら店に入った。
冷房の効いた店内には、立ち飲み用の小ぶりのラウンドテーブルが等間隔で並び、そのひとつひとつが昭和風のホーローの笠がついた電球に照らされていた。10年ぐらい前にヒットしていた曲がBGMで流れている。こういうのが聞こえると、初めて来る店のはずなのに前にも来たことがあるような気がしてしまう。
夏美が入ってきたことに気づいた高木が、いちばん奥のテーブルから手を振った。その名のごとく背の高い、高木の頭は照明の傘に今にもぶつかりそうだ。
先週、三十歳の誕生日を迎えた夏美は、職場の同じ部署で二年後輩の高木拓斗から、誕生祝いを口実に誘われたのだった。
三か月ほど前、夏美は高木が初めて任された五百人規模のイベント演出のサポート役になった。仕事の段取りは夏美の方が分かっていたが、担当するイベントへの熱意と根気では高木にはかなわなかった。それが不思議と悔しくはなく、後輩の熱意を支える最大限のサポートをしたいと感じた。高木の方も夏美に遠慮せず、意見の違いを徹底的に話し合い、最終的に、これだ、と二人とも納得できる新しいアイデアを生み出せたことが、なんとなくいい雰囲気になり始めたきっかけだった。イベントの打ち上げの時、酒がまわった高木から、
「夏美さんと仕事ができて本当に良かったです。イベントが終わってしまって残念です、寂しいです」
と言われたことが、日が経つにつれ、夏美の高木に対する気持ちそのものになっていった。
夏美が誘われたのは数時間前、昼食を買いに行ったコンビニの、同じおにぎりの棚の前で立ち止まった時だった。今日は金曜日、まったく予期していなかったわけではない。だが、これがあとで振り返ってデートと呼べるものになるかどうかはまだ分からない。夏美は高木とプライベートで二人の時間を持てることが嬉しくもあり、不安でもあった。
高木が立ち飲みの店を選んだのは、気楽な雰囲気を演出するためだろう。一緒に飲んでみて、やっぱり合わないかな、と気づいてしまっても、職場で良い関係を続けるためにはベストの選択だと夏美も思った。
店員が置いていったおしぼりで手を拭いていると、「夏美さん、お酒、何にしますか?」と高木に聞かれたのが新鮮だった。高木はまだ夏美の好みを知らない。
夏美と高木の所属する部署は、今どき珍しくお酒好きばかりが集まっていて、なにかと理由をつけては飲みに行っていた。だが、そんなときは真っ先に生ビールをピッチャーで頼み、乾杯をしたら好き勝手に飲み放題メニューから選んでいたので、夏美もこうやって男女二人のときに、高木が何を飲むのか知らなかった。
「うーん、何にしようかな」