どうもどうも、寒くなってきましたねえと、仏壇の祖父の写真に話しかける昼過ぎ、休日。秋の空は高く、どこまでも見えそうな、また、秋空からはこちらのすべてが見透かされてしまいそうな快晴。あんなに暑かった夏はどこへ? 何も分からぬ酒の中。
どんな季節にもホッピーを飲んでいた。どんな季節にもマドラーで、焼酎と、ホッピーを。凍らせたグラスの中を泳ぐ曖昧な夜を。混ぜていた。
どうもどうも、それではおひとつお借りしますねと、仏壇にお供えしてあるマドラーを拝借。これは祖父が生前愛用していたものであり、金属加工工場で働いていた彼が自作したものでもある。
所謂「形見」というものだが、故人をしんみり思い出すというよりは、祖父と一緒に酒を飲みながらああでもないこうでもないと話しているような気分にさせてくれるので、私の気に入っている。
思い出すということは、痛みを伴うものだ。と、私は考えている。傷になるような痛みから、傷になることもないやさしい痛みまで、さまざまではあるが、どのようなものであれ痛みを伴うものだ、と。
祖父のマドラーはいびつなかたちをしている。もともとは美しい直線だったらしいのだが、使い続けているうちに祖父の手のかたちに変形していったらしい。
祖父は職人の手をしていた。その手でよく頭を撫でられたものだ。分厚くて硬く、がしがしと、すこし痛かった気がする。
十八歳で工場勤めを始めてから定年まで実直に勤務を続けた祖父は、二十歳になったばかりのころにウイスキーの水割りのためにマドラーを作ったらしい。
それからしばらく経ち、私の影響でホッピーを好むようになった祖父は、毎晩くるくると混ぜていた。赤らんだ頬で、陽気な手つきで、威厳のある手で、白ホッピーと焼酎を。
1本のホッピーを祖父と私とで分け合って焼酎と割って飲んだこともあった。祖父は酔うとホッピーをそのまま飲む癖があり、その日も途中からホッピーだけに切り替えていた。
「飲んでみ」と言われ、私もそのまま飲んでみる。これがまたイケるのだ。「あっ、これはこれで良いねえ」なんて言うと、祖父は得意げ、近所のスーパーで買ってきたイカフライをつまみにホッピーを飲む、飲む。
夏の日の麦茶のようにごくごくと、私もそれに釣られてごくごくと。なんとなく癖でたまにマドラーを回す。グラスの中、ホッピーがくるくると回る。私たちもそれに合わせるように会話を続けた。
何の話をしただろう。祖母の話をしたような気もするし、私の母の話をしたような気もする。はたまた、近所の野良猫の話をしたような気もする。
何年前のことだろう。昨日のことのような色彩で思い出すことができるし、もう何十年も前のようなモノクロで思い出すこともできる。
思い出せないことが増えていくたびに、思い出そのものは現実味を帯びていくように感じる。焼酎にホッピーが注がれたときのように、ぼんやりと、じわじわ鮮明に。グラスの表面を覆う水滴の位置まで思い出しそうなくらいに。
不思議なものだ。もう祖父はいないのに、いないことがむしろいることを強調させているかのようだ。