「昔は、よくイルカがやって来たんだぞ」
「ほんとに!?」
「ああ、本当さ」
じいちゃんはホッピーを飲みながら少し得意げに言った。よく冷えたジョッキを片手に、海を見ながら飲むのがじいちゃんの至福の時。
青く澄みきった空の下、頬を紅く染めたじいちゃんの言葉に僕は胸の高鳴りを覚えていた。この広い海のどこかで、今にもイルカが飛び跳ねるのではないかと見渡したが、穏やかな海の上には遥か遠く木の葉のような船が浮かんでいるのが見えるだけだった。
僕が初めてじいちゃんの家に一人で泊まったのは、小学一年の夏休みだった。
僕の父さんは、二十八歳という若さで亡くなった。僕が三歳の頃だったので、記憶はほとんどない。『じいちゃん』は父方の祖父のこと。夏休みに母さんが「一週間お泊まりしておいで」と言って送ってくれた。
父さんが亡くなってから、一人では何かと大変なので母さんの実家近くに引っ越したそうだが、父さんの実家からは随分と遠くなってしまった。それから、父さんのじいちゃんやばあちゃんと会う機会は少なくなった。つまり僕と過ごす一週間は、父さんに代わって母さんからの親孝行だったに違いない。
じいちゃんはジョッキに入ったホッピーを飲み干し「さぁ、帰って昼寝でもするか」と立ち上がると、僕の手を引っ張った。ゴツゴツと岩のように硬い大きな手が、僕の体をひょいと引き上げる。僕は「競争ね!」とじいちゃんの家に向かって思いっきり走り出した。
「こら、待たんか」
振り返ると、じいちゃんが僕を追って走ってくる。少し大げさに腕を振り必死の形相で走る姿は、今となれば僕を喜ばせる為の演技だった。そんなことに気付かない幼い僕は、優越感に浸りながら「じいちゃん、早く!」なんて時おり振り返っては、冷やかしてみたりして。
僕は庭の垣根に隠れて「わっ!」とじいちゃんを驚かせた。すると、じいちゃんが「こらっ!」と握りこぶしを振り上げて再び僕を追いかける。「ここまでおいでー」とからかいながら走り出し、庭で洗濯物を干すばあちゃんを見つけると、その勢いのまま抱きついた。
「あら、おかえり。楽しそやね」と、ばあちゃんは僕の頭をゴシャゴシャと手荒く撫でるのだった。僕は誇らしい気分になった。
すぐ目の前に海が広がるじいちゃんの家は夏でもひんやりと涼しく、波の音と海風が揺らす風鈴の音色を子守唄に、僕はいつの間にか眠ってしまった。
僕は夢を見た。
浜辺に座って海を眺める二人の後ろ姿。小さな男の子と、そのお父さんのように見える。その向こう、沖では水しぶきを上げて飛び跳ねるイルカたち。