「“生ホッピー”ってのが飲める店があるんだって。行ってみたくないですか?」
それは社員食堂での同僚との和気あいあいとした会話のよくある一コマ。
外出の多い部署だが今日は珍しく全員が在席しており、課長が「だったらたまにはみんなで社食のB定食でも」と言うのでこうして8人掛けのテーブルを同僚達と囲んでいる。
間の悪いことに今日に限って私はお弁当を持ってきていて、皆が課長の言った通りに小3個とデザート付きのちょっぴり贅沢なB定食680円を食べている中で、ただ一人お弁当を広げている。
お弁当を社食に持ち込んでいるのは何も私ばかりではないので、それは構わない。
問題は「同じ釜の飯」が好きな課長の目の前で一人違うものを食べている自分。
少し居たたまれない雰囲気はあえての鈍感力で受け流そう。
今日は小1の娘にとって初めての「お弁当の日」だった。
子供たちが親と一緒に作った弁当を持っていって学校で食べる、という設定の日。建前は食育のため、と言っているが一説には給食費を節約するためじゃないか、なんて噂もある。
働く母親にとってはただでさえ忙しい朝の時間、自分で作れば20分程でできてしまうお弁当を、子供にもできる献立と段取りを考え、手助けしながら倍以上の時間をかけて作らなければいけない正直堪忍してほしい、いろんな意味で特別なイベント。
けれども娘のために購入した小さな玉子焼器で不器用ながらに何とか作り上げた玉子焼きに目をキラキラさせる娘を見ていると、卵液の飛び散ったレンジ台や、流しに危うく積み重なった食器の山を出勤前に片さなきゃと、ピリピリしていた気持ちも一気に吹き飛ぶ。
形は悪いけど、かけがえのない宝物のような玉子焼きを味わいながら食べていると課長の視線が絡みついてくるのが分かった。
この人の前では子育てトークは厳禁。
弁当のことに話題を振られたら、どう切り返そうかと思いを巡らせていることころを救ってくれたのが「生ホッピー」の話だった。
「ホッピー、って、ナカとソトって注文するんですよね。」
「生ってどういうこと?」
「やっぱりホッピーにはキンミヤだよ!」
「いや、タンカレーにするとまたこれがいいんですよ。」
「俺、中だけでいいや。」
「最早ホッピー関係ないじゃん。」
話を振った人間も実はよく「生ホッピー」なるものをわかっていないらしくひとしきりそれぞれが勝手にしゃべっている中で、誰かの発した「じゃあ、いつ飲みに行く」という問いかけは霧消したまま昼休みは終わった。
私は消費者向けの製品が主な化学メーカーの中では少数派の産業分野向けの営業をしている。