この地には私の思い出がたくさん詰まっている。そして、この地なら私の見ている夢の先をきっと見つけることができる。久しぶりに戻ってきた。これからはずっとこの地でやっていくのだ。昂りを感じない方がどうかしている。これから紹介するお話は、私がこの地で出会った先輩とのある日の飲み会の話。その時に飲んだ一杯のホッピーの話。そしてホッピーをジョッキに注ぐ時のようにわくわくしながら注ぎ足されていく、私のこれからの話。
東京メトロ丸ノ内線、終点荻窪駅から少し歩いて、JRは中央線だか総武線だかの線路沿いの道路から下に降りたところにある、あれはたしか牛すじの煮込みが自慢のそれほど大きくはない個人経営の居酒屋だった。私たちがそこを訪れたその日は平日のまだ十七時を少し過ぎようかという時間であったにも関わらず、店内はもうすでになかなかの賑わいを見せていた。店内でそれぞれに酒や料理を楽しむ先客たちの服装や会話から察するに、この店はどうやらこの辺りの会社で働くサラリーマン達の仕事帰りの憩いの場、いわゆる都会のオアシスというやつになっているようだ。店内には十二席ほどのカウンター席と通路を挟んで三組の机と座布団が並べられた座敷席があり、座敷の方は既に満席になっていた。私と先輩はカウンターの隅の方に並んで座ることにした。それぞれにおしぼりとあらかじめ盛り付けまで用意して冷蔵庫で保管されていたつきだしが配られる。店主はというと厨房で忙しそうな様子で店を回している。どうやら注文が決まったならば、そのつどカウンター越しに客の方から店主にその旨を伝えるというシステムらしい。通路側にもアルバイトらしいスタッフが一人いるのだが、そっちはもっぱら座敷の注文を取っては、厨房からその品を持っていく担当のようだ。
カウンターに等間隔に並べられている店主直筆と思しき暖かみのある手書きのメニューをさっと流し見て、私は一杯目に生ビール。先輩は先輩でもう決めていたという感じでホッピーセットを頼んだ。先ほど配られた大根やらつみれやらサヤエンドウやらを醤油ベースで調味された出汁で炊いたようなつきだしをあてにして、そしてとりあえずあとは他の客がみな頼んでいた牛すじの煮込みを一つだけ注文して、いざ飲み始めた。
私は現在、売れない俳優というやつだ。自分は俳優であると自信を持って名乗れないのが悔しくもあるが、実際、生活費のほとんどが派遣のバイトの給料で賄われているのだから俳優と自称することにどこか後ろめたさを感じるのも当然といえばそうだろう。これは私が勝手に悲観的にそう思っているだけのことというわけでもないという主張を述べるなら、たとえばもし仮に私が何か事件でも起こそうものならニュース番組では容疑者は自称俳優の男だとか、二十三歳フリーターの男といった紹介がされるだろうし、きっとそれが適しているのだ。ついこの間もとある事件の容疑者がまさにそういった紹介をされているニュースを見たばかりである。このような場面での自称○○というほど胡散臭いものはない。過去にも自称サーファーだとか自称アイドルプロデューサーだとかがお茶の間の話題となっていたが、わざわざ実質アルバイトだとか実質フリーターではなく、自称○○として報じるのは、容疑者側の意見を尊重しているようでいて、報じる側が幾分か悪意を含んでいるように私は感じてならない。ようは容疑者は身分が不透明な輩であるという、いかにも悪いことをしそうな感じを演出しているではないかとすら思うのだ。そしてそうした方が、視聴者も納得がいき、さらにはきっと喜ばれるだろう。よくインタビューなどで耳にする、近所の人に挨拶をするようないい人だったのにどうして?とか、クラスの中心で明るく活発な人だったのに何故?という台詞に見られるような意外性、そしてそこに潜んでいる、とすると誰しもがそういう事件を起こし得る一面を持っているのかもしれないという怖さのようなものが、自称○○には生まれないわけだ。なぜならはなっから自称○○にはその胡散臭さからどうせそんな奴はまともではないというレッテルが貼られている。少し話が逸れてしまったが、それでもなお、売れてはいないという言い訳を添えてまで俳優を私が自称するのは、私の隣で早くも機嫌よくいつもの演劇論を語りだしている、こちらも同じく世間一般からすれば自称俳優である先輩がそうするからだった。この先輩とはとある舞台での共演をきっかけに知り合った。舞台とはいっても何千人もの観客がいるようないわゆる商業演劇ではなく、一般的に小劇場と呼ばれるようなものだ。当時、まだ関西の小劇場を主な活動拠点としていた私であったが、関西に公演のために来ていた東京の劇団の主宰と知り合い、そのうちにうちに出ないかと誘われ、ついには何度かそのために東京で稽古と本番の間滞在するということをするようになったのだ。その東京滞在の期間、こちらに住むあてがなかった私はちょうどその劇団に所属していた先輩の住んでいた高円寺にあるシェアハウスに居候させてもらうという運びとなった。そこでの生活は本当に楽しく、まるで大学の学生寮のような雰囲気があり、毎晩のようにリビングで酒を飲み、たまに外に飲みに行ってはする話といえばやはり変わらず芝居の話ばかりなのであった。そのシェアハウスに住んでいる住人たちはみな一様に演劇に関わっている人たちで、漫画界では有名な、手塚治虫先生も住んでいたという、かのトキワ荘のようにこの家もきっとなるんだとよく先輩は口にしていたものだ。目指せ平成のトキワ荘だなどとみな口を揃えては笑っていたが、今や平成も終わりを迎えようとしていると思うとなんだか寂しさもあり、時代の移ろいを嫌でも感じさせられる。