俵木純一郎は貯金通帳を見るのが生きがいだった。
特に資産があるわけでもない家に生まれ、特に際立った能力があるわけでもない純一郎にとって、金を貯めるのは節約しかないと思ってきた。1に節約2に節約の生活だ。結婚は席を入れただけで、子どもは生まれた時から節約教育を欠かさなかった。思春期に反抗されたこともあったが、この生活が嫌なら学校へは行かなくてもよいから働くようにと言うと反抗は収まった。勉強をしろと言ったことはない。3人の息子は公立以外に進路がないことを自覚していた。進んで勉強し、公立の中高から国立大学へと進んだ。子供を育てるには貧乏に限るというのが純一郎の持論だ。
会社勤めの頃から金貸しもしていた。金に困っている人はいつの時代にもいるものだ。社会的地位のある人も多く。純一郎の裏の稼業はけっこう繁盛していた。定年退職後も電話一本ですぐに現金を用意した。利子は裏稼業としては良心的だったが、取り立ては厳しかった。給料日にATMまで一緒に行って返済させることも多かった。それでも純一郎を頼ったのは、何より口が堅かったからだ。
息子たちは3人とも独立している。今では節約主義で育ったことを感謝している。給料が安いと愚痴をこぼすこともない。貰った賃金のなかで十分やりくりできるからだ。息子たちは自分の子供たちにも勉強を強要することなく育てている。上出来の人生だ。
ただ7年前に女房を63歳で亡くした。妻が死んだのは病院へ行くのが遅すぎたことが原因だった。「寝てれば治る」が口癖の純一郎に遠慮して、体調の悪いことを誤魔化し誤魔化し生活していた。
今になって想う。「女房が早死にしたのは、俺のせいだ」純一郎は今年73歳になる。最近寂しさを感じている。
純一郎は川岸に立っていた。川の向こう側には美しい花畑が広がっている。
「ああそうだ、ここは三途の川原だ」朝の散歩のときに交通事故に遭った。赤信号で渡ろうとしてタクシーに撥ねられたのだ。
最近よく思うことがある。節約し続けた人生だ。小金がたまってからは裏で金貸し稼業もやってきた。金は面白いほど増え続けた。
今三途の川原を前にして、自分の人生はこれで良かったのかと考える。自分のためには何一つ贅沢なことをしてこなかったからだ。何のために金を貯め続けたのかとも思う。
この川を渡れば女房が待っている。女房には可哀そうなことをした。自分の節約人生に黙って付き合ってくれた。挙句の果てに寿命を縮めることになった。
純一郎は意を決して川を渡ろうと思った。すると小舟がこちら岸にやって来る。船頭がひとり乗っていた。
「おまえさんはまだ乗せられない、帰りな」
まだ生きられるのかと訊くと、船頭は台帳を見ながら言った。
「3か月後ってことになってるね」