観覧車が上り始め、ガラス窓越しに見える外の景色を眺めていると、少しずつ、少しずつ地上の景色が顔を出してきて、街を歩く人々や、あちこちにある商店街の様子が顔を出し、真下に見える蒲田駅のホームから出発していく電車の走る姿がほとんどミニチュアのように、それは孫のしのぶが買ってくれとせがんでやまないトミカくらいの大きさに見えてきて、手を伸ばせばそのまま手に取ってしまえそうだ、とはさすがに還暦を向かえた正文は思わなかったが、孫のしのぶにはそんな風に見えているのではないか、といったことを正文は考えていた。しのぶは目の前で両手をガラス窓につけ、鼻の先が潰れるくらい顔を窓にくっつけて外の景色を食い入るように見ている。
「じいじ、電車が通った! ちいさいねえ」
と、しのぶが声を上げ、
「電車、かっこいい~。しのぶも電車欲しい!」
と叫びだすのも正文には予想通り。それで後日おもちゃ屋に行って電車のトミカをしのぶに買い与えた後、しのぶの母親、つまり正文の娘である優香に怒られたときの言い訳まで頭の中で考えている。「あんまり甘やかすと癖になるからやめてよ、じいじは何でも買ってくれるのにって駄々こねるの、あの子」と、何でもしのぶに買い与えてしまう正文を優香が叱るのだ。昔は何でも欲しがって正文を困らせた優香がそんなことを言っている、と正文には感慨深い気持ちも沸き起こるが、それよりも優香に怒られるのが怖くてびくびくしている。びくびくしながら、でもしのぶが可愛くしょうがない。だから何でも買ってしまい、「お母さんには内緒だよ」と、そんなこと隠してもすぐにばれるのに悪あがきでしのぶに秘密にさせたりした。
蒲田に住む正文がこの、東急プラザの屋上にある「かまたえん」にきたのは、思い返してみれば、優香がそれこそしのぶくらい小さかった頃に連れてきた以来だった。当時は「かまたえん」ではなく「プラザランド」という名前だったと思う。たしか一度取り壊されそうになったところを、なんとか免れてリニューアルしたとかそういう話ではなかったか。と正文の記憶はあやふやだったが、確かにその正文の記憶通り、「かまたえん」は二〇一四年に一度閉鎖の危機に陥っていたのだが、存続を望む地域の人々の反対の声により閉鎖の危機を免れた。いやあ、プラザの屋上遊園地が閉園しなくて本当によかったなあ、と当時反対の声を上げていたわけでもないのに、正文は自分も反対していたかのような気持ちで園の存続を喜んだ。だって孫のしのぶとこうして楽しく観覧車に乗れるんだ、万歳万歳。と思っていた。そんな可愛くて仕方ない孫を生んだ優香は、実はとうに蒲田を出てしまっており、今は神奈川で夫の孝之君としのぶと三人で一緒に暮らしている。娘が家を出て行き、さらには二十数年住み続けた故郷の蒲田を離れていったのは寂しかったが、神奈川なんてそう遠いわけでもない。それに夫の孝之くんは優しいし、むしろ気の強い優香と一緒に暮らしていて大丈夫なのかと心配なほど物腰が柔らかく優しい青年で、安心して優香を嫁に出した。まして嫁に出るなと正文が言ったところで、聞くはずもない優香のことだ、その相手が変な男でなく、孝之君でよかった。それに二人の間に生まれた孫のしのぶはこんなにも可愛い。可愛すぎる。孝之君、ありがとう。君は最高だ。正文はそう思っている。そんな最高な孝之君は今日も仕事なのだという。可哀そうに、今日はゴールデンウイークなのに。でもまあ仕事熱心で感心なことだ。という事情があり、連休を使って帰省のため蒲田にきた優香に、プラザでゆっくり買い物をしたいからしのぶの面倒を見といてくれと頼まれ、それでしのぶを連れてプラザの中にある本屋で絵本を読んだりゲームセンターでUFOキャッチャーをしたりした後、屋上にやってきて観覧車に乗ったのであった。それにして随分と久しぶりに乗る。たしかプラザで洋服を買ってくれと駄々こねる優香に、金がなくて買ってやることができなくて、宥めるためにここの観覧車に乗せてやったとき以来だと思う。実はその頃の観覧車からは、今はリニューアルされているから変わってしまっていることに気づかない正文は、いやあ、懐かしいなあ、ほんと、何にも変わってない、と間抜けな感想を持つが、けれども観覧車自体は変わっているがそこで見える景色や、そこで娘と過ごした時間などは、今まさに孫のしのぶと観覧車に乗っている今という時間を経て、ここの屋上遊園地での記憶として正文の頭に残っているから懐かしいわけで、そういう意味では懐かしいという感情が浮かんできても何もおかしいことはなかった。