目が合った瞬間、嫌な予感がした。
キラリーン。擬態語なら、そんな甲高い効果音が脳内に響いた。
遡ること、1時間前。
個人レッスン用の狭い一室で、今日も全く成果の上がらない自主練習を虚しく終え、スマホを確認すると、仕事中の母からラインが入っていた。
『蒲田のおばあちゃんが転んで捻挫をしたって。心配だから、様子を見に行ってくれない?』
80を過ぎた独居老人が怪我。さすがに祖母が心配で、大学を出ると祖母の家へ直行した。音大の最寄り駅の池袋から山手線、京急線と乗り継いで蒲田へ向かう。クリスマスイヴ前日の黄昏時の車内は、やはりカップルが目立つ。ピンク色のハートマークがひしめく車内を、自分とは無縁な世界の景色を眺めるようにやり過ごし、40分ほどで蒲田駅に到着した。
電車に乗る前から既に雲行きが怪しかったから、降られる前に早く帰ろうと家路を急ぐ。すっかり夜の粒子が舞い降りた東口へ出た途端、音が狂いがちの、賑やかな『サンタが街へやってくる』に出迎えられた。
暗雲垂れ込める暗い宵の空を跳ね返すように、華やかなクリスマスイルミネーションでライトアップされた駅前広場。そこに簡易ステージが設置され、クリスマスコンサートが催されていた。だが、明らかに素人集団の演奏で、聴くには値しない。…はず。なのに、帰途を急ぐ私の足は家には向かわなかった。稚拙だが、妙に温かみのある、トナカイのような人懐っこい音色に心惹かれ、自然とステージへ吸い寄せられてしまった。何となくワクワク心躍るような楽しげな音だった。
ステージ前には既に数十人ほどの人だかりができていた。後ろの方から、ステージを見て、驚いた。…シルバー楽団?
ヴァイオリン、チェロ、フルート、トランペット、電子ピアノ。全員が、恐らく八十歳は過ぎた白髪の高齢者だった。宵闇に染まる藍色のスーツを粋に着こなした四人の老紳士に、黒いロングドレスを纏った紅一点のフルートの老婦人。
…なるほど。コンサートと呼ぶにはいささかお粗末な演奏に、人々が足を止めた理由が分かった。これだけの高齢者の五重奏の菅弦楽器楽団はなかなかの見物(みもの)だ。極寒の中、寒さに震える手を堪(こら)えて弾いているだけでも充分尊敬に値するのに。それに技術は拙くとも、その音色には実直に、丁寧に歳を重ねてきた者だけにしか紡ぎ出せない味わい深さがあった。音の狭間から聖母(マリア)のような慈しみ深い愛情が零れ落ちる。…やるじゃない、シルバー五重士。
集まっていた子供たちが演奏に合わせて、口々に歌い出し始めた。すると、奏者は皆、椅子に座って演奏していたが、ヴァイオリニストだけが突然立ち上がり、歌声に興に乗せられたように一人だけステージ中央に躍り出て、大きく体を動かしながら表現豊かに全身で弾き始めた。表情もクルクルめまぐるしく変貌する。ピエロのようにおどけた顔をしたかと思いきや、直後に哀しみにはち切れそうな顔をしてみたり、顔中皺くちゃにして笑ったかと思ったら、苦悶に喘ぐ顔をしてみたり、艶(あだ)っぽい悩まし気な表情をしてみたり。見事な七変化を見ているだけで、こちらまで愉快な気持ちになってくる。まるで彼の独壇場だ。年齢を感じさせないダイナミックで豊かな表現力に思わず見入ってしまった。
…さすが年の功。技量はともかく、表現力はピカイチだ。私でも敵わない。