太陽が力尽きたように、夜のとばりが落ちていく。青から深い紫へと空が変わっていくのを見届けるかのように、居酒屋『漁火』の赤ちょうちんが灯った。
賢吾は引き戸を開けて表に出ると、暖簾をかける。見覚えのある少年に気づき、賢吾は手招きした。
「寛人。飯、食ってくか」
小さなランドセルを背負った寛人は、小さく頷いた。
店のカウンターの奥にいた春菜が寛人の顔を見ると大きな声で「おかえり」と声をかけた。寛人は小さくお辞儀をすると慣れた手つきでランドセルをおろして座敷席の隅に置く。
「おかえりってもう自分ちの息子みたいじゃねえか」
常連客のヒコ爺が日本酒をちびちびと煽った。
「そうねえ。もううちの子みたいなもんかしら」
「まあったく。自分の子供の方が先だろ」
春菜はこわばらせながらも、曖昧な微笑みを崩さなかったが、賢吾が遮るように間に入った。
「ヒコ爺。寛人にはちゃんと親がいるから」
「亮二のあほうはお前に任せっきりで、こっちに顔出しもしねえじゃねえか」
賢吾の言葉をひっくり返すように、ヒコ爺は畳み掛ける。
「うちは、飯食わせてるだけですよ。あいつも残業続きで子供の飯どころじゃないから」
「ほんと、お前は親父さんそっくりだよ。人の子の世話まで好き好んでして」
寛人は聞こえないふりをして、座敷の一番奥の席で、宿題を広げている。
「別に、親父の真似してるわけじゃないですけどね」
「一緒だよ。しかも親切を恩で返すんじゃあ……」
「ヒコ爺!」
一瞬だけ、賢吾は声を荒げる。ヒコ爺があっけにとられると、我に返ったように、賢吾も淡々と言葉をつなげた。
「もう飲み過ぎてるんですか」
「……ああ、いや。悪いなあ。歳を取るとどうも説教臭くなっていけねえ」
頭をかくと、ポケットからしわくちゃの千円札を何枚か出す。
「今日は帰るわ。おあいそ」
賢吾が頭を下げると、春菜がレジを打つ。
「また明日も来るんでしょ」
「まあなあ!晩酌なしで寝られるほど、健康じゃないんでよう」
ガハハと大げさに笑うとヒコ爺は腰を曲げて歩きにくそうに店を出ていった。
引き戸が閉まると、寛人がノートから顔を上げた。
「……親父の真似って、何?」