僕が「ドロップス」を初めてみたのは、母からの急な呼び出しがあって、仕事を抜け出して病院に駆けつけた時だった。父は、3ヶ月前から蒲田にある大学病院に入院していた。癌だった。僕が幼いころから父はタバコを吸っていて、それが直接的な原因かどうかわからないが、70歳に近くになって、ついにというかとうとう喉頭癌になった。余命宣告みたいなものはなかった。というより、余命を宣告できるような状態でもなかったというのが正確なところかもしれない。それほどの病状だった。でも、僕はなんとなく覚悟のようなものはできていた。昨年末に帰省した時にまともに食事もとらないでタバコばっかり吸ってる姿を見たからというのもあるが、僕もそれなりの歳になり、ということは両親もそれなりの歳になっていたから、近いうちにこういう話は出てくるだろうと常日頃思っていたからだ。父は死ぬ直前までタバコを吸っているような人だった。現に今も吸えるものなら喜んで吸うだろう。ヘビースモーカーというわけではないが、自分のペースというか規律というか、自分の決めたことは曲げたくないといういうタイプの人だ。一言で言ってしまえば頑固ということなのだろうが、それ以上に、キャベツの芯みたいな、曲げたくても曲げられない硬い棒が父の体の中心を通っているような、そんな性格の人だった。だから、入院をして多少なりの延命処置をうけるという話を聞いた時は驚いた。今考えてみると、母や僕に迷惑をかけないように配慮をしてくれたのかもしれない。それでも、過去の父を知っている人なら、誰もが驚いたと思う。
夕方くらいに母から着信があって、父の容態が急変をしていると言われた時、僕は取引先からオフィスへ戻っている最中だった。電車を降りてすぐに連絡があったので、そのまま上司に電話をかけて事情を説明し、電車に乗って蒲田に来た。あかりに連絡をしなければと思ったが、今日は塾の日でまだ家には帰っていないだろうし、そもそも携帯も持たせてないから連絡の取りようがないことに気づいた。後で病院から連絡すればいい。そう考えて、まずは父のところへ向かった。
病院に着いてみると父の容態はすっかり安定していた。一時は昏睡状態になり、血圧も大きく下がったようだが、なんとか持ちこたえたようだった。麻酔の影響もあってか眠ってはいるものの、顔色も悪くなく、呼吸も安定しているようだった。ほっとしたものの、反対に母は昼ぐらいからバタバタと僕や親戚などに連絡をしたり、担当医にいよいよ覚悟してくださいと脅されたりしたからなのか、かなり疲労しているようだった。僕の顔をみて安心したのか、笑顔は見せたが、もう喋る気もおきない様子でほとんど口を開かなかった。母は父とは反対に活発的でよくしゃべるタイプの人だから、こんな状態になるのは珍しかった。それほど堪えたのだろう。よくよく聞くと食事もまともに取ってないようだったので、病院の一階にあるレストランに連れて行った。あまり喉を通らないようだったが、それでも母はなんとか食事をとってもらった。母はここ何週間かは、パートの仕事もやめて、定期的に父の世話にきていた。それ以外にも今回のように病院から呼び出されることも何度かあったようで、週の大半は病院に来ているとのことだった。母と父は同じ歳だったし、20代後半で結婚してからずっと一緒に過ごして来ている。目の前で長年一緒に暮らした人間がゆっくりと死に近づいていくのをみてるのはとてもつらいだろう。母にとってもそれは遠い未来の話ではないのだ。近いうちにくる自分の姿も照らし合わせざるをえないのではないか。母の心情を考えるともう少し側にいてやろうと思った。
その後、病室に戻り、父の様子をしばらくみていたが、ひとまずは安定しているようだったし、担当医も山は越えただろうと言うので、我々二人とも帰ることにした。気づいたらもう夜はだいぶふけていて、もう電車のない時間だった。そこで一階に降りてタクシーを呼んだ。実家は歩いていける距離にあるのだが、母の困憊した様子では一人で歩いて帰らせるのも不安だったので、母にはタクシーで帰ってもらった。僕の家は歩いて帰れる距離にはないので、タクシーに乗らないと帰れない。でも、なんだか安心したからなのか急にお腹が空いてきた。軽く飲みながら食事をとるために歩いて駅に向かうことにした。