「おかえり」
どこからか、そんな声が聞こえるような気がした。
駅前のターミナルは相変わらず人でゴチャゴチャしている。昔は通りを歩けば、パチンコ屋の玉の弾ける音や、いかがわしい看板を持つおじさんがウロついていた印象もあるが、今はどこ吹く風。新しい駅ビルにはおしゃれな店がいくつも並び、ビジネスマンやベビーカーを引いた母親たちがさっそうと歩いていく。
守は二十年ぶりに蒲田に帰ってきた。守はこの街で生まれ、小学校一年生までを父と母、家族三人で暮らしていた。工場勤めの父、近所から『べっぴん』呼ばわりされていた母。守は何不自由なく、町工場の連なる住宅地の小さな家で、一人息子らしく大切に育てられていたという記憶がある。
ふいに守は手帳から一枚の写真をとり出した。それは四辺がボロボロになっている古いカラー写真。真新しい野球グローブを手に満面笑顔の守。その両脇に父と母。よく見ると背景に小さく観覧車が映っている。誕生日か何か、守は念願のグローブを買ってもらい、お祝いに観覧車にのせてもらったのだろう。誰がこの写真を撮ってくれたのか、遊園地の係員か通りすがりの人か。すっかり忘れてしまったが、守は今でもこの写真をなぜか肌身離さず持ち続けている。
実家とは反対方向に守は歩を進めた。この街に戻ったらどうしてもこの目で確かめたいことがあった。果たしてアレはまだ残っているだろうか、そんな気持ちが守をいっそう急かした。
「マジかよ」
アレを目の前に守はつぶやいていた。同時にうれしくなった。マジでアレは存在している。もうとっくに引退してると思ったのに、守の予想は見事に裏切られた。まだバリバリの現役。人をちゃんとのっけて回ってる。観覧車として動いている。
「大人ひとり」
守は思い切って観覧車に乗った。車内は狭く窮屈だったが、何となく居心地がよかった。子どもの頃の自分は、この小さな窓から何を見ていたのだろう、と思う。東京の建ち並ぶビル群を眼下に、ちっぽけな夢を大きくふくらませていたあの頃。野球選手とか宇宙飛行士とか、その頃の夢は無限大だったのかもしれない。観覧車はゆっくり上昇していく。やけにスピードはゆっくりだ。二十年後、まさかこの観覧車に乗るとは。このままタイムマシンのように、どこかへ飛んでいってしまえばいいのに。守も観覧車もだいぶ年をとったが、この狭い空間の中に身を置くと、まるで二十年前の自分に遭遇しているかのような、不思議な感覚にとらわれる。そしてまた別の声が聞こえてくる。夢は無限大でいいんだ、と。
「守くん?」