「純喫茶と喫茶店の違いって知っていますか?」
俺はコーラを口に含んだまま考えたが分からなかった。
まだ暑さの残る秋の神戸。
『海外移住と文化の交流センター』までの坂を登りきると息が切れた。坂の上から、ガイドブックに載っているような海を臨む景色が観られると思って振り返ったが、努力の割に高さは不十分らしく、登って来た坂があるだけだった。ハンドタオルを取り出して、汗を拭うと今日一日、俺の案内をしてくれている役所の早川さんが、自販機で購入したコーラを差し出してくれた。
礼を言って受け取った缶は、冬場のアイロンみたいに冷たくて、それが喉を通過するイメージが先に浮かんで思わず喉を鳴らしてしまった。
「いただきます」と缶を開けて喉に放り込んだ。炭酸の爽快感と冷たさが、体中に染み込む感覚に大きく息を吐くと早川さんはどうやら一口で飲み干したらしく、盛大なゲップをして「すみません」と口を押さえ、「そう言えば」と先の問いかけをしてきたのだ。
俺は笑って早川さんの手に握られた缶を見た。缶はすでに主人を失くしたにも関わらずまた冷たさを残しているようであった。
久しぶりに『純喫茶』と耳にして俺は小学生の時の友人を思い出した。
友人は商店街にある喫茶店の息子であった。
彼には両親がつけた名前があるのだが、俺も含めた友人からは『雨』と呼ばれていた。
その由来は、彼の家である喫茶店が『レイン』だからという単純なものであった。では、店の名が何故『レイン』なのかというと雨も含めて知らなかった。そして、雨自身は物心ついた時から『雨』と呼ばれていたので、好きも嫌いもヘチマもなかったようだった。
同じように俺にもあだ名があった。それは俺の名字がとある俳優と同じことに端を発している。その俳優が、主人公を演じた映画に俺たちの街の名がタイトルに含まれたものがある。俺たちが生まれる前に作られたものだが、何故か、その主人公の名が俺のあだ名になった。気に入っていたのだが、今はその名で俺を呼ぶ奴とは縁が無い。
とにかく『レイン』の置き看板に『純喫茶』とあったことを早川さんの質問で、雨の小太りで人懐っこい顔とともに思い出した。そして、いつも飲んでいたレモンスライスが添えられたコーラの味が、口中に広がった気がした。
「違いってあるんですか?」
口の中ですっかり温くなったコーラを飲み込んで俺は早川さんに尋ね返した。