小説

『桃缶』間詰ちひろ(『桃太郎』)

「キャンセル料払うの、もったいないし。薬飲んで、寝てれば治るって」

 スマホの画面に光る、身勝手な返信内容を睨みつけ、まどかはひとり唇を噛み締める。まったく……。こんなことなら看病してあげるんじゃなかったなあ。恩を仇で返されたように感じてしまう。火にかけた鍋の水がふつふつと沸き上がるかのごとく、いらだちが込みあがる。いらだつ気持ちを返信しようかと思うけれど、思うように指先が動かない。まどかの気持ちなんて汲み取ることもなく、身体の節々は錆ついた機械のようにギシギシと音を立てて痛む。息を吸って吐くだけのことでも苦しく感じる。胸の奥や、身体の節々で鬼でも暴れているんじゃなかろうか。
 まどかの身身体の中では、いままさにインフルエンザウイルスが暴れ回っている最中だった。
 もとはと言えば、七日前にミツキがインフルエンザを発症したせいだ。
 交際中の彼氏が病気になり、熱にうかされ寝込んでいると聞いたなら、彼女は看病せずにはいられない。いかにその病気が、感染率の高いインフルエンザであろうとも。
 おでこに貼る冷却シートや栄養ドリンクを薬局で買い求めたり、たまご雑炊をつくったり。まどかはミツキの看病をしてあげたのだ。病院で処方されていた薬も忘れず飲むようにと、朝、昼、夜と細かく切り分けて、「介護が必要な老人じゃないんだから」と病人であるミツキ本人に苦笑いされたほどだった。
 まどかの看病のおかげ、というよりは病院で処方されたインフルエンザの特効薬と、ミツキ自身の免疫力により順調に五日程度で回復した。
 しかし、ミツキの看病していたまどかに「じゃあ、つぎの宿主の方、よろしくお願いします」とバトンを渡されたかのように、インフルエンザウイルスはまどかの身体に侵入し、発症してしまったのだった。

 まどかの看病をミツキがしていれば、お互い様だし仕方ないよね、で終わる話なのだけれど、そうはいかなかった。ミツキは数ヶ月前から予約していた友人との二泊三日スノボ旅行へと出かけるというのだった。
「なんて薄情なんだ……」
 ピピピッと鳴った体温計を見て、まだまだ熱が上がるのかとうんざりしながら、まどかはベッドのなかで寂しくてしかたなかった。
「ミツキ、ずっと旅行楽しみにしてたし、仕方ないか……」
 彼女の看病ではなく、友人との旅行を選んだ彼氏に対して、期待した自分が悪い、などと諦めにも似た感情も抱えはじめていた。

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