9月期優秀作品
『息子の見解』黒藪千代
カランッ。妻が冷凍庫から氷を取出してグラスに放り込む音がした。
慌ただしく子供達の相手をしながら夕飯の後片付けを終えて今日の主婦業はおしまいという合図だ。
「あぁっ!やっと終わった!」
イヤミと怒りが含まれた妻の言葉。
自分の為だけに入れた氷たっぷりのアイスコーヒーに口をつけた妻は、イスに座るオレを見下ろしながら、正面の椅子の背もたれに手を駆けたまま立った。
数年前の妻なら(飲む?)とオレにもアイスコーヒーを奨めただろう。
身体の中にムクムクと湧き上がる何か。怒りでも、恐怖でもなく。戸惑いだろうか?オレは(ふっ~)と一つ息を吐いて自分を落ち着かせた。
こんな時はきっと(お疲れ様)とか言うものなのだろうか。だけど、妻は毎日外で働くオレにお疲れ様とは言わない。オレだけが妻にお疲れ様と声を掛けるのは不条理だと思うと素直に言葉が出て来ない。
いつもなら食事の後はリビングのソファに座るのだが、今日は上二人の息子達が早くに部屋に入って行き、5歳になる末娘はリビングで遊びながら眠ってしまった。これはもしかしたら、妻と何かしらの会話が出来るのではないかと思えて、あえてダイニングに座っていた。
(ふんっ)アイスコーヒーを半分程一気に飲むと鼻を鳴らしてオレから視線を外しリビングのソファに腰を下ろした。いつもならダイニングに座るはずの妻がオレを避けている事がわかる。
「沙耶、ベッドに連れて行こうか?」
妻から発する無言の圧力に耐え切れず娘に視線を向けながら言った。
「いいわよっ!あなたが抱くと起きちゃうから。」
「でも、このままじゃ風邪引いちゃうし、あっ、エアコン消すか?」
「もう少しそのままにしといてよっ!これ飲んだら連れていくからっ!ちょっとくらい休ませてょ!」
怒らせるつもりなどなかったのに。
妻は眉間に皺を寄せてほんの一瞬キッと睨むような視線を向ける。
手の平にじんわりと汗を感じて妻の顔から目を背けた。
いつからか夫婦の隙間を感じていた。
沙耶が産まれてから妻は子供部屋で寝るようになった。そして気が付くと食卓を一緒に囲まなくなっていた。仕事を終えて帰宅したオレが食卓に付くと、妻は半ば慌てたように食事を済ませ他の家事を始める。
明らかに避けられているのが伝わってくる。
何とか修復したいと考えていたけど、今の妻と上手く会話をする事すら出来ずに結局いつも考えるだけで終わってしまう。