9月期優秀作品
『待つ時間』宮原はる
都内の古くもなく、新しくもない2階建てのアパートは駅から徒歩15分。後から取り付けたような簡易な屋根も錆びれており、1カ月草むしりが放置されているような駐輪場の横を通り抜けて2階に上がる。奥から2つ目の部屋に鍵を差し込み、ドアを開けば最近買ったアロマの香りが鼻先から体を包み込む。甘すぎず、強すぎず、でも程よく主張し、和ませてくれるその香りは母親が選んだものだが、意外と気に入っている。本人に伝えたら恐らく分かりやすく気分を良くしながら『陽が絶対好きな匂いだと思ったもん~』と絡んできそうなので、言うか言うまいか、悩んでいる所だ。
アパートとは言え、床はフローリングだし、大家さんが今流行りのリノベーションというやつをしたお陰もあってか、部屋の中は駅近マンションとほぼ変わらない。駅近マンションの部屋なんて入ったこと無いから知らないけど。フローリングに加え、全体的に明るく、家具も自然色で統一されて、より一層、駅近マンションに近づいているのは母親のセンスもあるかもしれない。って、先ほどから褒めすぎか。これだとマザコンになるのか。何とも際どい所だ。
スクールバッグを勉強机の横に掛け、少し窮屈な制服を脱いでハンガーに吊るしてからラフな私服に着替える。外はまだ明るい。
所属している写真部での活動は週2,3回。元々写真を撮るのは好きなのもあったが、活動日すら正式に決まっているのかあやふやな緩さが何よりの魅力で入部した。何故なら今日みたいに直帰して夕飯の買い出しに行ける日があるからだ。母親の為にご飯が作れる。ついでに洗濯物も掃除も終わらせることが出来る。幸い主婦みたい、と馬鹿にしてくる面倒な奴らも周りにいない。そこまで口外していないのもあるかもしれないが。家庭事情を隠しているつもりはないけれど、別に此方から打ち明ける必要もないと思う。聞かれれば答える、それくらいでいいと思っている。
ポストに入っていたチラシとエコバックを持って外に出た。少し前から傾き始めた陽が寂れた駐輪場から遠ざかっていく。日に日に遠ざかっていくのが速くなり、季節の移り変わりを実感する。今日は何がいいだろうか。今どきの男子高生らしからぬ、スマホではなくチラシを眺めながら近所のスーパーを目指した。
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「ただいまー」
『おかえり』
「今日もいい匂い~…この匂いは何かしら」
『つくねと切り干し大根。サラダも食べるよね?』
「食べます!」
『…ちょ、近いからさっさと手洗いうがいしてきなよ』
「はーい」
今の会話を台詞として書き起こして文字で見たらどっちがどっちを言っているのか分からないだろう。世間的に言えば立場が逆転している。ご飯とみそ汁をよそい、テーブルに並べた頃にはパリっとしたスーツからジャージに着替えた母親がお腹減ったーと言いながら戻ってきた。先食べ始めてて、と言い網戸の下に置いていた蚊取り線香を灯す。入ってくる夜風に秋が混じり始めたけど、もうしばらくこれを活用する日が続くかもしれない。誰かさんは自分と違って刺されやすいし。
テーブルに戻ってきたらまだ食べ始めていないことに疑問を抱く。
『お腹減ってたんじゃないの?』