9月期優秀作品
『エアーお父さんの香り』矢鳴蘭々海
「新海先生は少し遅れるから、先にコース出といて」
部長の合図で自転車競技部の部室から、続々と自転車が持ち出された。ここは私が通っている高校。女子校だけに黄とか赤とかカラフルな「ロードバイク」が、虹を描くようにグラウンドに広がっていく。集団のトップを狙って、私も自分の自転車に颯爽と飛び乗った。
ペダルに力を入れるたび、風が真っ向うから私にぶつかってきて気持ちいい。目の前にはグラウンドの地面しか広がってないし、空は青いし、体調は絶好調だし、今だったらミサイルが落ちてきても逃げ切れるくらいスピード出せそう。
「なんか幸せやわ~!」
さっきからテンションがやばい。お弁当開けたら卵焼きとハンバーグが並んで入ってた時みたいな、“当たり”の幸福感が風と一緒に体全体を包み込んでいく。
「あおいー!まだ一周目なのに飛ばしすぎやで」
ハアハアと小さく息切れさせながら、同じ一年生のマキが愛車のビアンキで私に追いついてきた。フレームからタイヤまでピンクで統一された女子力の高いデザイン。一方、私のはジャイアントの型落ち版でフレームは黒だし、何よりセンターにでかでかと印字されている“GIANT”のロゴがJKとして致命的にダサい。
「ジャイ子追いつかれてるー!がんばれー!」
見学連中からトドメの一発が私に刺さる。さっきまでの幸福感は風と共に去ってしまった。それもこれも全てこの自転車のせい。元をただせば予算をケチったお父さんのせいだ。
「マキはいいよなー。ロードに好きなだけお金かけられて」
「あおいの家が厳しすぎるんやって。ロードの予算10万ってありえへんし」
「娘のためなら幾らでも出すのが父親ちゃうん?男のくせにほんま女々しいわ」
風の中で声を張り上げると、日頃の不満がむくむくと入道雲のように膨らんできた。昔からそうだった。いくらおねだりしても欲しいものが「予算外」なら「対象外」だと決して方針を曲げない父。母と共働きしてまで私を学費のかかる私立女子校に入れてくれたことには感謝しているけど、いわゆる「娘を溺愛する父親像」とは大きくかけ離れていた。
「テープちょっと汚れてきたな。そろそろ買い換えよ」
マキが自転車のハンドルを軽くさすりながら呟いた。その部分だけは真っ白なバーテープが巻かれていて、乗っているマキは白手袋をしたお嬢様に見える。そう、社長令嬢のマキには、バーテープ一つ買うのも躊躇してしまう私の心境なんて分からないに決まってる。
「ねえー。タイタニックやってー!」と見学連中から声があがった。
英語の授業で映画「タイタニック」を見て以来、船の先端で主人公たちが寄り添う場面を再現するのが部員の中で流行っていた。