9月期優秀作品
『祝と恩』秋和夢境
娘の誕生日。しかし娘は家にいない。それでも祝うひとりの父親。
今日は娘の誕生日だったなと思い、仕事の帰りにケーキ屋によった。ショーケースに並ぶ美味しそうなケーキに目を通し、ケーキを決めた。
「チーズケーキを2つ」
娘は昔からチーズケーキが好きなのだ。帰宅時間を1時間と伝え、勘定を済ましてケーキを受け取った。
自宅の鍵を開け、ドアノブをひねる。ただいまと帰宅を伝えるが、おかえりという返事はない。今は、娘も妻も家にいないのだ。リビングの電気をつけ、テレビをつける。芸能人達が楽しそうに笑っていた。
買ってきたチーズケーキを2個箱から出し、皿に乗せる。テレビからの笑い声だけが耳に入る。そういえば、娘の笑い声もしばらく聞いてない。
妻が亡くなってから5年が経ち、娘は大学進学にあたって家を出て一人暮らしを始めた。初めて1人で祝う娘の誕生日だ。今頃娘もチーズケーキを食べているのだろうか。大学の友達にプレゼントをもらったのだろうかと考えながらチーズケーキを口に運ぶ。口に広がる味とともに、娘が一人暮らしを始めるといったときのことが蘇ってくる。
娘が進学に向けて勉強をしていることは知っていた。娘は気を遣ってか塾には通わず、自室にこもって勉強に勤しんでいた。家事も手伝ってくれて自慢の娘だった。
高校3年生の夏休みの前だった。娘は初めて進学について話があると言ってきた。私はついにきたなと思いながら唾を飲み込んだ。
そこで初めて娘の進学についての思いを聞いた。自分の手から離れ、遠くの大学にいってしまうことは、何回か想像はしていた。そのたびに心配と不安と悲しさに満たされた。それは娘の思いを聞いたあの時も、今でも変わらない。ただひとりの愛娘だから。
だけど反対は出来なかった。妻ならきっと賛成していただろうから。妻は私によく娘のことを話していた。どんな風に生きてほしいか。どんなに人になってほしいか。結局それは全部幸せになってほしいに繋がってしまうけど、妻は特にこう言っていた。後悔しても自分の決めた道に責任を持って、笑える子でいてほしいと。
妻のその言葉とあの表情が、私に娘の進みたい道を応援する力をくれた。娘は自慢の子だからこそ、信じることができる。進みたい大学でしか得ることができないものを得てくると。
思い出しているうちに、チーズケーキ食べ終えた。妻も食べ終わったかなと遺影の前のチーズケーキに目をやり、冷蔵庫にしまう。