9月期優秀作品
『八重ちゃんの小さな家』末永政和
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八重ちゃんと旦那様がうちにやってきたのは、夾竹桃の花がやさしく香る夏の日のことだった。暑い盛りで、ずっと手入れがされていなかった屋内は熱気がこもって今にもどこかから煙が立ち上りそうなほどだった。私はもう誰かと暮らすことなどあきらめていたのだけれど、変わり者の旦那様が、なぜだか私を選んでくれたのだった。
最初は夫婦だなんて思わなかった。だって旦那様はいかにも旦那様然としてふんぞり返っているのに、八重ちゃんは質素な格好でかいがいしくて、おまけに体が小さくて子どもみたいなんだもの。
聞くところによると旦那様はゲージツ家らしく、それでちょっとおかしなところがあるのだった。まず、いっこうに働こうとしない。朝から晩まで家にいて、へたくそな俳句をひねっていたかと思えば不器用な手つきで粘土をこねている。小説を書こうとすれば畳の上は反古の山になり、絵を描けば部屋中を汚さずにはすまなかった。
八重ちゃんは旦那様がどれだけ不甲斐なくてだらしなくても文句一つ言わない。偉そうにあれこれ指図されても、うれしそうに笑っている。もしかしたら馬鹿なのかもしれないと思ったが、どうもそうではないらしい。八重ちゃんは心の底から旦那様のことが大好きで、だから何を言われても笑顔を崩さないのだ。
新居(?)を前にして、旦那様と八重ちゃんは二人並んで私の前にぼんやりと立ち尽くしてた。後ろからは傾きはじめた太陽の光が、二人の短い影を玄関の中へと伸ばしていた。
「何してるんだ、早く上がったらどうだ」
「だめです、旦那様が先に上がらないと」
「馬鹿、レディファーストという言葉を知らんのか」
「女は後ろに付き従うものです」
こんなやり取りをずっと続けている。私は少し、二人の関係が心配になってしまった。
「一緒に中に入りましょうか」
八重ちゃんが提案すると、旦那様は「馬鹿、そんなみっともない真似ができるか」と強がってみせる。どうせ誰も見ていやしないのに、男というものはつくづく面倒な生き物なのだ。このままじゃ日が暮れてしまう。それにさっきから女の子に向かって馬鹿とは何事だと、私は旦那様の頭のうえに蜘蛛をたらしてやった。すると旦那様はよっぽど驚いたものか、はじかれたように家のなかに転がり込んでいった。
玄関を上がった二人は、そのまま言葉を失って立ち尽くしていた。
「うわぁ……」
思わず八重ちゃんの声がもれる。感動ではなく嘆息の「うわぁ」だ。
「ちょっと大家に話を……」
そう言って逃げ出そうとする旦那様の袖をつかまえて、八重ちゃんは「中に入ってみましょう」と旦那様の背中を押し出した。
「ちょっと、勝手に押すんじゃない」
「大丈夫、後ろは私が守りますから」