小説

『The birth of the red empress』田中二三-(『赤ずきん』)

 『オオカミが死んだ』という話はまたたくまに近隣の村々に知れ渡った。
 オオカミは乱暴者で、誰に対しても横柄且つ横暴、狡猾で残忍だという事は、この辺りでは有名な話であり、誰もが彼がいなくなればいいと思っていた。
 だけれども、その話を聞いた村の住人たちがオオカミを殺した狩人や赤ずきんの少女を手放しで賞賛したかというと、そうではない。
 逆だった。
 むしろ彼らは狩人や赤ずきんをなじった。糾弾し非難した。
 どうして殺してしまったのか、他に解決法はなかったのか、などという意見はまだまともな方で、酷い者はお前達が死ねば良かった、などと彼らの目の前で堂々と暴言を吐く者もいた。
 ある意味、住人たちの反応は当たり前だった。
 なぜならオオカミは群れで生活する生き物だからだ。
 誰をも――それこそ幼い子供から老人まで――知る、いわば世間一般でいうところの“常識”というものだった。
 その常識に則れば、あのオオカミもまた何らかの群れに属していたのは間違いなく、その群れの他のオオカミ達が、仲間を殺した狩人たちが住む村、その住人である自分たちを許すとは到底思えない。
 つまりは、他のオオカミ達が住人に対する報復を行うのではないか、と村々の人々は恐れたのだ。
 それに対して狩人はこう訴えた。
 だったらどうすれば良かったのか、赤ずきんとその祖母を見殺しにすれば良かったのか、と。
 オオカミを殺したことは正義だったはずだ。
 少なくとも、そう感じることは誰にでも出来る。住人も例外ではない。
 だが、それはあくまで自分に害が及ばない遠い世界の話なら、という前提が必要だ。
 誰だって自分の生活を脅かしてまでも、正義とか言う幻想を執行するつもりは毛頭ないのだ。
 でも、そんなことは誰もが口には出さない。
 だから、人々は本音を隠して、狩人に答えた。
 オオカミとは言葉が通じたはずだ、だったら殺さずに平和的解決がどこかにあったのではないか、と。
 なるほど、一理ある、と自分たちで言った言葉に彼ら自身は頷いた。
 確かにその方法はあったのかも知れない。
 だが、オオカミの腹の中に赤ずきんとその祖母が収まっていたあの緊急時に、言葉を使ったコミュニケーションでオオカミと和解し、なおかつ赤ずきん、その祖母、オオカミという三者を生存させる、というあからさまに難易度の高い作戦を悠長に実行する余裕があれば、の話である。

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