8月期優秀作品
『灰に溶ける』斎藤俊介
その日、私は苛立っていた。理由はよくわからない。仕事への不満か、今吸っている煙草を自由に吸える場所が年々減っているからなのか。
何気なく、床に落ちた灰に目を配ると灰皿はもう吸殻で溢れていることに気付く。
舌打ちをしながら灰皿の吸殻をゴミ袋に捨て、空になった灰皿がなんだか妙に空しくみえたので、もうしばらく煙草を吸うことにした。
煙草を吸うだけの空虚な時間。吸殻で灰皿を満たすことにより、何かが満たされ、意味のある時間だと私は思いたいのだろうか?
この空虚な時間を灰に溶かし、好きな時に、溶かした時間を取り戻せたらどんなに良いだろうか……
残りの人生が50年としたら、人は髭を剃るだけで半年程の時間を費やす計算になるそうだ。
ならば私はこの煙草でどれだけの時間を失うのだろうか?
過ぎていく時間が人生とするならば、今の私は煙草を灰にするだけの人生を送っていると言ってもいいのかもしれない。
そんな思考を徐々に眠気が奪っていった。私はまだ半分も吸っていない煙草を灰皿に押し付け、火を消した。
うっすらと白い煙に包まれた部屋が妙に幻想的だなと思いながら、私は布団に入り、眠りについた。
ある日、私は車を走らせ、田舎の実家に向かっていた。今まではあまり帰省をしていなかったのだが、
最近は頻繁にしている。というのも2年前に父が亡くなったのだ。
一人暮らしの母を心配し、顔を見せるだけのことで、親孝行をしているような気持ちになる自分にほんの少し苛立ちながら、私は煙草に火を点け、ほんの少しアクセルを強く踏み込み、
車を走らせた。
父は不器用な人だった。私は子供の頃から一度も褒めてもらった記憶が無い。
寡黙で多くを語らない父は、誤解されることも多々あったが、不思議と多くの人に慕われていた。
田舎にも関わらず通夜、葬儀の時には父の友人、知人で式場が埋まっていく様子は今でも鮮明に覚えている。
通夜振る舞いの時に、父に世話になったという人達が、父の人柄を語っていた。
しかし、私はその人物像をどうしても父と重ねることができなかった。
父への反抗心だけで実家を離れた私には父を理解することはできないのだろうか?たった一人の父親のことでさえ……
何となく憂鬱な気分のまま、実家に到着すると、見覚えのある車が数台、実家の周りに止められていた。
「ただいま」
「おう。ひさしぶり」
玄関を開けるといとこの慎二がビール瓶を持って居間に行こうとしていた。
「今日はみんなで集まる日だっけ?」
「いや、たまたまだよ。示し合わせてないのにみんな集まったんだ」
妙な偶然もあるものだ。私自身も何となく帰省しようと思い立ち、此処にいるのだから。
近しい親戚同士が集まり、父の仏壇にそれぞれ手を合わせた後は、ビールを飲みながらの雑談だ。