6月期優秀作品
『さびしいサラダ』もりまりこ
透の忘れていったTシャツが、どことなく所在なげにそこにあった。うたたねしそうになって、揺れているカーテンのすきまを縫う風の冷たさにふいに起こされてしましそうになる。
この間までが、夏だったことを強烈に思い出すのは次の季節が、ここに届いてしまった時なのかもしれない。
まえぶれ、おとずれ。ふつふつとわいてきて。
夏に思いがけなくこぼれた種が、少しずつ胸のどこかで発芽しそうになっているようなはじまりの秋。
見知らぬ誰かが、この夏からだやこころに刻んだはかりしれない時間をひしひしと味わった人がいたかもしれないと、栞は夏を終える度に思うようになってしまっていた。
まったく同じような体験をしている人がいてもおかしくはないけれど、それはどことなく違っていて、ってそう浮かんだあとで、<物事が同時に起きないために時間が存在している>っていうアインシュタインの言葉を、透が教えてくれたことを思い出す。
わざとなのか無意識なのかランドリー屋さんに一緒に行った時、畳んでくれた洗濯物のなかに透のTシャツが紛れ込んでいた。
ずっとクローゼットの中にしまいこんであったけれど、今日はそれを袖に通してみた。
うそみたいにやわらかくて、微かにホワイトビーズの香りがした。これをいつも透が着ていたことを思い出して、すこしだけ溜め息のような声が出た。
その後なにか栞は言葉を吐いたと思う。
怒りに似た感情を纏ったまま、バスを乗り継いて仕事場に向かった。
屋上植物園のようになった<天神屋デパート>の屋上には、半円型の舞台があって、その前にはベンチがいくつか置かれてる。それは3列並んでいて、背もたれのペコちゃんマークは錆びていて、すごく末枯れた風情を醸し出していた。雨ざらしのせいか、さびさびでペコちゃんはもうペコ姐さんって感じで、傷だらけの舌をたらりと垂らしたまま、ずっと屋上のベンチの背もたれにいる。
栞はいま膝の上に置いてあるちいさな紙片を読んでいた。
透が書いたきたない文字の連なりにしかすぎない、覚書のようなもの。
深呼吸してみる。鼻腔に潮の香りが紛れ込んできて、すこしだけ誰かの匂いを感じ取る。誰かって濁したけれど、訂正してみる。栞は潮の匂いは透だとしか思えなくて、この屋上で深呼吸したくなる理由はなにげなくだからでもなく酸欠だからでもなく、まぎれもなく透だった。
紙切れの中の他愛のない言葉の連なりを読んだ後は、おそろしい喪失感を味わいながらデパ地下にある職場の総菜屋、<ベジルド>へとモードを切り替えていかなければならない。
その紙切れには、ちいさな亀裂があった。あの亀裂に手をかければ透のぜんぶが紙吹雪になるだろう。
じりじりと栞は破ってみた。ちびちびと紙が手のひらから離陸してゆく。