小説

『田中の小言』室市雅則(『小言幸兵衛』)

 都心から車で二時間ほどの町の朝。
 気候は春めいてきているが桜はまだ咲いていない。
 大根畑の間を新聞屋の原付が昇りかけの太陽を背にして走っている。
向こうには数軒の家が立ち並んでいる。
新聞屋は原付を停め、降り、スタンドを立てる動作をほぼ同時に行い、リズミカルに繰り返して、仕事をこなしていく。
その調子を崩さず少し古びた一軒家のドアポストに新聞屋が新聞を挟んだ。
 ドアポストが開く音がし、スタンドが上がる音がし、バイクのエンジン音が離れていく。
 台所のテーブルに肩肘をついて、うつらうつらしていた田中の顔をカーテンの隙間から差し込んだ朝日が照らした。
 後退の気配が著しく現れている生え際に汗が滲んでいる。
 明かりが眩しかったのか、目を覚まし、しかめ面で辺りを見渡した。
 「ちょっと寝ちゃったか」
 差し込む光を睨んだら、さらに眉間に皺が寄った。
 「眩しいじゃないか。え、気持ち良かったのに。朝なのは分かるよ。でも、こっちの状況も考えてくれないと。カーテンもカーテンだ。中途半端に隙間を作っちゃダメだよ」」
 億劫そうに立ち上がり、カーテンの端を握って、しっかりと閉めた。
 隙間は無くなったが、そもそもの生地が薄いのか明かりは透け、台所はほのかに明るい。
 その薄明かりが着ている上下黒のジャージの毛玉を際立たせた。
 ジャージの胸元にある毛玉の一つを摘まみ取った。
 「そんなにくたびれているんじゃないよ。こっちまでくたびれちまうよ。朝からげんなりしちまうよ」
 一つを取ると気になってしまうのか、見える範囲の毛玉を一つ一つ摘まみ取る。
 「まあ、この辺で許してやるか」
 ヒゲが薄く伸びた口をすぼめてまとめた毛玉を息で吹き飛ばすと冷蔵庫へと向かった。 

 冷蔵庫を開けると慣れた手つきでペットボトルの水を取り、蓋を開けて一気に流し込む。
 咽せた。
 「おいおい。冷え過ぎだろ。腹を壊すつもりか?」

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