小説

『一物』山羊明良(芥川龍之介『鼻』)

 小山町のインディアン・マイクといえば内藤善治のことで、彼の股間にぶら下がった男根のことを知らない者はいない。長さは三十センチをゆうにこえ、太さは大根なみ、ズボンをはけばまるでツチノコの類が這いあがっているようにみえるのである。
 二十二になったばかりのインディアン・マイクは子供の頃から己の一物に苦しめられてきた。インディアン・マイクというあだ名も子供のころにつけられたもので、並はずれて大きいという意味らしい。
 マイクの一物が大きくなりだしたのは、いや、それは最初から大きかったのだ。小学の頃にはすでに全国平均十二センチはゆうに超え、中学では二十センチに到達し、高校においては完全にもてあまし、精神的にも肉体的にも完全にまいってしまった。マイクは人の視線が自分の股間に向けられるのをひどく恐れていた。
 ブリーフもだめ、トランクスもだめ、ボクサーパンツもだめでスパッツははくこと自体が困難だった。目立たないように太ももにしばりつけた事もある。腹につけ、サラシで巻いたこともある。いずれもしっくりとこず、ならばと後ろに回してお尻の間に収め、それを忘れて椅子に座った拍子に飛び上がったのは有名な話で、しばらくは誰もがマイクをみるだけで笑った。
 インディアン・マイクは毎日苦しんだ。超自然的現象の前でなすすべなく、現状打破できない弱弱しい自分を情けなく、そして恥じた。卓越したものをもちながら、その他の平凡でミドリガメのような小さな連中から馬鹿にされる事に不愉快さを感じられずにいられなかった。サバンナではキングだとマイクは思った。しかし人間社会ではピエロでしかない。
 小山町の人々は自分達のが普遍的なモノであることを幸せだと思った。強烈なオリジナリティを備えたものは損だとも思った。
 「あの大きさでは女がよってこまい」誰かが言った。
 「年頃の娘が受け入れるにはあまりにも大きすぎる」
 「壊れちまうわい」
 女性問題はマイクにとってデリケイトな問題だった。実に多くの、同年代の女性の悲鳴を聞いてきた彼である。すでに自尊心は粉々に砕け散っていた。例え回復したとしても新たな女性が新たな、悲劇的な声をあげるのである。
 実際以上に短くみえる方法はないものだろうか。活力や肥大化を推進する飲み物や薬はあるけれども、その反対は皆無だった。芸術部の奴にうまいことだまし絵でも考案してもらおうとしたが、満足いくものではなかった。様々な角度からアプローチしたが一物の存在を薄めるほどの効果もなかった。気にすれば気にするほど己の一物の存在がより大きく、宿命から逃げられないと語っているように思えた。そういう時は頭まで冷水に浸かり、深く気を落ち着かせることに専念するマイクであった。
 それからマイクの視線は無意識のうちにみなの股間にむけられる時があった。思春期をむかえ、異性を意識し始める年頃になろうが、就職やら進学やら親離れが近くなろうとも彼らのアソコは平らであり、きっちりと行儀よく収まっているようだった。交換留学でクラスに外国人がやってきたときなど、ひどく彼のモノをみたい衝動にかられた。一目見て安心したかったのだ。しかし、トイレでみた彼のモノは皆と似たり寄ったりだった。反対に彼がマイクのをみて、外国らしい快活に驚く姿をみて不快になった。

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