「お客さんもついてないねぇ。この天気じゃ、どこにも行けやしない」
温泉宿の女中が申し訳なさそうに言った。坂田が宿に着いた直後から降り出した牡丹雪は、夜になっても降り止みそうにない。昨年の大晦日も同じように大雪に見舞われた。一年の憂さを覆い隠すように、雪はしきりに降り続く。
「大晦日にこれじゃ、露天の商人がかわいそうだ」
まさか坂田の稼業を知っているわけではあるまいが、女中の口調は妙に同情的だった。
窓の下には土産物屋や飲食店が軒並み皎々と明るいが、この寒さのなか、外に店を構えるような物好きはいないだろう。
去年の大晦日、坂田はしょんぼり雪に吹き付けられながら、軒灯の下に見台を構えて客が来るのを待っていた。昼は方々の店をまわって空き缶を集め、夜は易者としてその日を暮らしていた。大晦日だからといって、大雪が降っているからといって、休んでいるわけにはいかなかった。金が必要だったのだ。
しかしそんな暮らしも、あっけなく幕を閉じた。病床の妻が息を引き取り、途端に暮らしが楽になったのだ。妻のために貯めていた金は使い道を失って、結果こうして一人、温泉宿に逗留している。
妻とは大阪で出会った。坂田は印刷屋の跡取りで、妻は道頓堀のキャバレーに瞳という名で務めていた。遊び慣れぬ坂田は病み付きのように足しげく通うようになり、その都度瞳を指名し、たちまちナンバーワンにしてやった。所詮は商売女と気弱な客のことだから、手相を見てやると言って手を握るくらいの関係であったが、坂田は瞳に会うためのお金ほしさで印刷機を売り飛ばし、あちこちに不義理を重ねた。そうして落ちる所まで落ちた所で女心が傾いた。瞳の方から同情し、ともに大阪を離れることになったのである。
東京へ向かう途中、熱海で妊娠していることを打ち明けられた。自分の子どもだと思いたかったが、自分以外の客とも瞳が逢瀬を重ねていたことを坂田は知っている。疑えばきりがなく、子どもが流産してからも疑念は晴れなかった。
東京での貧乏暮らしがたたったのか、流産後の体調も思わしくなく、瞳は体も心も弱ってしまい、東京を離れたがった。そうして二人が向かったのは、大阪を超えて遥か西、別府の温泉街なのだった。
この大雪では外を出歩くこともできないだろう。どう過ごしたものかと思案し、食事を終えると坂田は観念して、露天風呂に向かった。
元々が薄暗い宿だが、露天風呂へと続く廊下には蛍光灯も電球もなく、竹と和紙とでできた灯籠が等間隔に並んでいるだけだった。薄暗い回廊に赤い炎が揺れて、このまま別の世界にさまよいそうな気さえしてくる。
「なぁあんた、約束してんか」