小説

『天才小人は臆病です』志岐ハルナ(『小人の靴屋』)

 

 

篠原の朝は地味になることから始まる。髪の毛は、ストレートにして、後ろで一つ結びにする。アイメイクは無難なベージュ、暗めの赤のリップをして、黒縁眼鏡をかける。じっと鏡を見て頷く。今日も完璧だ。完璧なほどに地味だ。いつものとおり出勤をして、お湯を沸かす。そしてコーヒーを一口。この時間が篠原はものすごく好きだった。一生こうやってのんびり仕事をしていたいとさえ思う。ちらり時間を確認すると、始業時間まであと30分ほど。まだみんなが出勤するまでもう少しある。コーヒーを飲みながら今日は牧村が何と言って出勤するか考える。反抗期になった息子さんの愚痴だろうか。それとも、自治会委員の愚痴だろうか。どちらにしろ、牧村の話を聞くのは好きだから、愚痴だろうが大歓迎だ。

「しーちゃん!大変。この会社倒産するかも。」

バーンと開け放って、牧村が言ったのは予想もしていなかった言葉だった。

「と、とうさん?倒産?」

いきなりのことで、脳内の漢字変換がうまくいかない。

「牧村さん…?どういうことですか。最初から説明してください。」

「さっき更衣室で着替えていたのよ。ほら、女子更衣室って社長室の裏じゃない?そしたら社長がだれかに怒っているような声が聞こえて。耳をすませて聞いていれば、業績が赤字だからとか、どうにもならないとか、倒産とか聞こえて。ああ、私どうすればいいの。私なんておばさん、また仕事探すのなんて無理よ。」

牧村は手で顔を覆った。少しふくよかな体系でガハハハッといつも豪快に笑う牧村とは別人のようだった。

「牧村さん。まだ倒産と決まったわけでは…。誤解という場合も。」

「じゃあ、どういう誤解なの!」

しばらく沈黙がおきる。松原設計事務所。それが篠原たちの勤める会社だ。従業員はたった6人。社長の松原、副社長坂口、事務員の牧村、営業の森崎、亀井・篠原が設計担当という中小企業どころか弱小企業だった。しかも社長の松原は、人がいいが、32歳とまだ若く経験が圧倒的に少ない。松原の親が割と有名な設計事務所の社長であり、経済的な支援を受けることで何とか保っている。もし、本当に倒産の話が持ち上がっているのであれば、支援なしでの盛り返しは難しそうだ。

「ごめん…。強く当たっちゃって。しーちゃんは悪くないのに。私は親に大学行かせてもらえなかったから。息子には絶対大学行かせてあげたくって。ようやく仕事と家事の両立にも慣れてきたのにさ。ただ運命って残酷だなって思って。」

「そうだね。とりあえず、事実を確認しよう…。あと数分で社長来るし。」

いつものようにチャイムがなると、社長が出てきた。

「みんなに伝えないといけないことがある。この会社は倒産の危機にある。みんなも知っている通り、この事務所が成り立っているのは、悔しいが親父のおかげだ。同じ設計の道に進んだが、親父のやり方になっとくがいかず、独立し俺が社長になって3年がたった。だが、結果はこのとおりだ。」

ざっと松原が資料を並べる。そこには赤字の業績報告者が並んでいた。

「親父から支援を打ち切ると言われた。大口の仕事はなく今支援を打ち切られたら、もう事務所をたたむしかない…。期限は今年度中。」

篠原はカレンダーをみる。今日は11月8日。Xデーまで、あと4カ月と少し。

「俺が不甲斐ないばかりに申し訳ない。」

この会社が何か物を売っている会社ならまだ良かった。でもここは設計事務所。営業して、設計して、修正までしてようやく1件なのだ。つまりこれが意味するところは、無謀であるということ。

「分かりました。とりあえず現在着手しているものは終わらせないとね。」

牧村がぐっと涙をこらえて、あたりを見渡す。みんなはそれぞれ俯いて席に戻る。

「ええ、俺は何をすれば。はあ、もう年休消化しよ。」

営業を担当していた森崎は、実質仕事がなくなる。こういう反応になるのもやむを得なかった。その日は定時をすぎると、よく残業していた亀井もチャイムが鳴ると同時に帰った。前とは違う指示がきたり、理不尽な設計要求もよくあった。それでも、自分が設計したものが形になるのは何よりも嬉しかったから、亀井は遅くまで仕事していた。それなのにこの結果だ。次の仕事を探さなきゃと考えたときに、わざわざまたブラック業界の設計事務所で働くのだろうか。一日考えても答えが出なかった。

「あーあ、困るな。ほんと困る。たださ、毎日のんびり朝の一杯のコーヒーが飲みたいだけだったのに。」

誰もいなくなったオフィスで篠原は一人つぶやく。髪をほどき真っ赤なリップを塗る。

「それじゃあやりますか。」


篠原詩織。まだ若手の社長は知らなかったが、この界隈ではみな、喉から手が出るほど欲しい人物だった。篠原はこの事務所で働く前は、超大手設計事務所SANGOで働いており、色々なコンペを総なめしていた。コンペでは、設計条件等が与えられ、提案した設計案の中から選ばれる。大手10社以上と戦うこともザラだったが、篠原が携わったSANGO案は通った。そもそもコンペは基本チームで企画する。たたき台をつくってみんなでブラッシュアップをしてよりいい案を生み出していくのが通常だった。ただし、篠原は例外だった。最初の篠原の案が優れすぎており、ブラッシュアップできるほどの案がでなかったのだ。篠原が担当すれば、コンペが獲れるものだから、会社側は篠原単独で担当させた。だが、それがよくなかった。ある事件が起きたのだ。同僚が篠原をカッターで刺した。理由は嫉妬。コンペで活躍したかった同僚は篠原単独のコンペをよく思っておらず、辞めればいいのにと思っていた矢先、別物件で篠原がアドバイスしたところ衝動的に近くにあったカッターで刺した。怪我自体はたいしたことはなく、篠原自身が庇ったので、警察沙汰にはならなかったが、同僚は懲戒処分となった。後に、同僚には仕事によるストレスで精神疾患があったとわかり、誰も篠原に非があるとは思わなかったが、篠原はこの一件で仕事を辞めた。辞める際、別の大手事務所から4社ほど誘いがあったが全部断った。設計職もやめようと思っていたところに、松原設計事務所の職員募集の案内チラシを見て、ここで働きだしたのだ。

 カチカチとパソコンを操作する。

「よーし、できた。」

2時間。篠原がパソコンを操作してから1つの図面が完成するまでの時間。篠原の天才ぶりは未だ衰えていなかった。篠原が目を付けたのはやはりコンペ。弱小事務所なため、参加資格がないものもあるが、一般公募はだれでも参加することができる。コンペを取れば、前払い金が申請できるものも多い。その間に事務所を立ちなおせないかと考えたのだ。コンペの詳細と図面を一式印刷し、社長室の机の上に置き、退勤した。


翌朝、いつものとおり朝礼が行われる。昨日と打って変わって社長の顔が輝いていた。

「これありがとう。誰かな。これ作ってくれたの。」

誰も名乗りを上げなかったので、続けて話し始める。

「正直、俺は諦めていた。会社が存続できる未来は難しいと。社長のくせにと思ってもらっても構わない。この結果がどうであれ、俺は全力を尽くしたいと考える。」

社長はオーバーな身振りをしてみせるが、篠原以外は頭に?マークを浮かべていた。

「一体なんのことっすか?」

森崎が手元を確認すると、篠原が作成した図面があった。

「設計コンペ!?え、社長これに参加するんすか。」

「そうしようと思う。コンペがとれれば、申請すれば前払い金がもらえるらしいしその費用で一定期間は賄える。コンペを数個取れれば、立て直し可能かもしれない。」

「え、えっとその資料は一体だれが。」

牧村はあたりを見渡す。篠原はもちろん手を上げない。カッター事件でようやく分かった。出しゃばったらダメだ。学生の時もそうだった。ずっと憧れていた。みんなでワイワイしながら、ひとつのものを作りたかったのに、『どうせ篠原がやった方がいい成績取れるんだし』と押し付けられた。無理だった。だからひっそりとやろう。絶対に誰にも言わずに。

「俺だ。」

手をあげたのは、予想外の人物だった。副社長の阪口。社長の松原と同じ大学の同級生で、松原と二人で独立し起業した人物。

「俺が作った。」

「おお、さすが阪口。このコンペ案少し見ただけだが、素晴らしかった。すぐ打合せしよう。とりあえず、みんなは今の仕事の続きと、参加資格のあるコンペ詳細を印刷しておいてくれ。以上解散。」

あっという間だった。助かったという思いと、何でという思いが篠原の中で交錯する。これでよかったのだ。6人しかいないからたとえ黙っていても、いずれはバレるかもと思っていたからだ。希望が見えたからか、みんなの顔色は昨日よりはよかった。

「お疲れ様です。」

定時になりみんなが退勤していく。篠原も鞄を持ち退勤するように見せかけて、15分後に戻ってくると、既にオフィスには誰もいなかった。

「さて。やりますか。」

さっと髪をほどく。それが合図だった。今日仕事中にみていたコンペの案を作成していく。一通り作成するのに、2時間半がかかっていた。

「検討することが多くてちょっと時間かかっちゃった。んー、まあまあな出来だね。SANGOで働いていた時の案の応用だけど、まあ割といいでしょう。」

今日も図面等を一式印刷し、社長室の机の上に置いた。


翌朝、朝礼の際、コンペに対しての作成方針が発表された。作戦はなんとものない数撃ちゃあたる作戦。2晩続けて優秀すぎる案が作成されたので、このまま数をかせぎ必ずコンペを取ることに焦点をあて、篠原が作成した資料案を基にコンペ用の資料をみんなで作成していくことになった。

「俺は設計職でもないから図面とかあんまり分からないっすけど、これって、こういうデザインの方がいいんじゃ?」

森崎が図面を見ながらスケッチをする。

「え…。あ、確かにそうだね。こっちのほうがいいかも。」

篠原が同意する。

「ねえねえ篠原さん。ここって、こっちの方式のほうがいいと思わない?」

亀井も図面を見ながらいう。

「んー。せっかくだしこのまま打合せしない?」

事務職の牧村、森崎も含めた異次元の打合せ。前の会社だと絶対になかった。前の会社ではコンペを取るために、ギスギスしていた。ここではみんな笑顔で自由に意見を言っている。

「はー疲れたー!もうこんな時間!しーちゃん帰ろう。」

「あ。ごめん、牧村さん。私ちょっと予定があるから。」

牧村さんの誘いを断って30分ほど時間をつぶしてからオフィスに戻ると誰もいなくなっていた。必要最低限の薄暗い照明中パソコンを起動する。

「よし、もっと作ろう。」

10分ほど集中していると、いきなり全部の電気がついた。

「やっぱり、小人さんはしーちゃんだったんだね。」

「水臭いですね。なんで、言ってくれなかったんですか。」

あたりを見渡すと、社長、副社長、牧村、森崎、亀井と全員集合していた。

「え。」

バレた。うそ。ギュッと目をつぶる。

「みんなで一緒にやろうよ。」

社長が手を伸ばす。

「篠原さんが、天才なのは知っているよ。記事読ましてもらった。全然気づかなかったよ。同性同名なのにね。」

「気づかなかったのはお前が鈍いからだ。社長だったらそういうことにもアンテナをはれ。」

副社長が社長の頭をかるくはたく。

「す、すみません。私。」

慌てて頭を下げる。あんなことがあったから履歴書にはSANGOで働いている経歴は消していた。詐称と思われてもおかしくない。

「ごめんね、名乗りだしてほしくて、俺がやったって嘘ついちゃった。結局意味なかったけど。」

副社長が苦笑する。そして社長と副社長が揃って頭を下げる。

「お願いします。会社のために助けて下さい。小人さん。」

「あの、小人っていうのは。」

「グリム童話に小人と靴屋って話があるんだよ。貧しい靴屋さんで夜になると小人がかわりに靴を作ってくれるんだ。まるで、篠原さんはその小人みたいだろ。」

「小人って…。社長、みんな、黙っていてごめんなさい。わたしでよければお願いします。」


2か月後。カチカチ。篠原は何度もリロードを押す。今日は一生懸命案を出し全員で作った最高の作品の発表日。

「みて!結果きた!結果は…、松原設計事務所!」

みんなで喜び抱き合う。篠原は確かに天才だ。でもチームでやった今回のほうが何倍もいい作品ができた。今日も篠原はここで真っ赤なリップを塗って仕事をする。