小説

『飴買い』秋野蓮(『産女の幽霊』(長崎県長崎市))

 長崎市の中心を流れる中島川。その川にかかる眼鏡橋は観光名所のひとつで、ハートの石が宝探しみたいに置かれていて、いつも修学旅行生や女子旅の子たちで賑わっている。
 実家はそこから山の手に、なだらかな石畳の坂道をしばらく上り、トントントンと石の階段をあがった突き当たりにある。

「ただいま」
「ああ、待っとったよ、しいちゃん、お帰り」
「ばあば、元気だった? はい、お土産。じいじの仏壇に供えてくるね」
「ありがとうね。しいちゃん、しばらくゆっくりできるとやろ?」
「うん、久ぶりだしね、長崎観光でもしようかな」
「そうね、それはよかね。ああ、そうそう、今日ね、光源寺さんで『産女(うぐめ)の幽霊』の掛け軸が見られるとよ」

 その掛け軸は、お盆翌日の八月十六日にしか見られないと聞いて、私は早速行ってみることにした。実家からは徒歩で十五分くらいだ。

 寺の奥にある広い和室。私以外に人の気配はない。
部屋の入口からは、天女の羽衣のようなひらひらとした白い布が、幾重にも天井から吊るされている。まるで現世との境目のように。
 そして羽衣の隙間を縫うように視線を走らせると、奥のほうに、寂しげに佇む女性を描いた掛け軸がみえた。

 シーシー、シーシーと蝉の競うような声が、部屋のなかにこだまする。蝉の声は、ぐるぐると天井で渦を巻くように漂い、まだまだ続く暑さを後押しし、これでもかと暑さを膨張させていく。息苦しい。まるで熱風のなかにいるようだ。
 額の汗を拭うと、どこからともなくすうっと冷たい風が頬を撫でた。

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