飛び込んだ瞬間、静寂が身を包んだ。濁流の轟音も、水の冷たさも、全てを圧倒する流れも、何もかも感じない。私は死んだのだろうか? しかし、意識ははっきりとしている。
私は薄暗い空間を漂っていた。上方から光が降り注ぐのを感じて目を向けると、見渡す限り一面に水面が広がっている。先ほどまでの激しさはなく、ゆるやかに波打っていた。
これが、淵の内側なのだろうか。水面へと近づき、その向こう側へ目を凝らす。垣間見えた景色に、私は息を呑んだ。
ハレの日の宴のために、椀を借りに訪れた人々がいる。あるときは、子の誕生を祝って。またあるときは、親の長寿を祝って。ときには、喪った家族を悼んで。ここからは、あらゆる時代の、あらゆる瞬間が見えている。
同時に、自分がなすべきことを理解した。私自身が、椀貸淵の主となるのだ。ある時間で頼みを聞いたら、別の時間に返された椀から必要な分を揃えてやればいい。ここに時間の流れは存在せず、どちらが先かは問題でない。
水面に映る人影の中に、探していた人物を見つけた。あの日、はじめて椀を借りにきた自分自身だ。
あのとき、もしお椀を借りられなかったなら。きっと私は悲しみを、妻の死を少しずつ受け入れていけたかもしれない。何より、妻を傷つけ、二度も死なせることはなかった。
川縁に立つ「私」は頼み事を書いた紙を流した後も、その場に止まっていた。やがて、大きくため息を吐くと、踵を返し歩み去ってゆく。
その姿を、水底にひそむ私は静かに見送った。