それから少しの間は、穏やかな二人の暮らしが戻った。––あの川に、水害が迫っている。そんなニュースを聞くまでは。
大雨が降り続き、急激な増水で流域の田畑や市街地に甚大な被害をもたらす事態に直面しているという。
もしかすると、これが返さなかったことに対する罰なのか。それでも、私は妻を返せなかった。一度起きた奇跡は、二度起これば日常となる。たとえ世界が終わるとしても、目の前にある幸せな日常を手放すことはできない。
しかし、私とは反対に妻の貌には日に日に陰が差していった。「私がいるから、こんなことになっているんじゃないの?」ある日目が覚めたとき、隣にその姿はなかった。「戻るべきところに戻ります。探さないでください」という書き残しが、彼女の選んだ道とその結末を示していた。
私は愕然とし、苦悩した。自分勝手な、この世の理を無視した願いにより妻を二度も死なせてしまったのである。
だが、事態は好転しなかった。約束を破った罰は、ただ借りたものを返すだけでは済まされないらしい。こうなれば、借りた当人が罰を受けるほかない。
およそひと月ぶりに訪れた椀貸淵は、見たことのない表情をしていた。荒れ狂う濁流が、河原に繁茂する木々も、群れていた魚たちも、何もかもを押し流してゆく。堤防の縁に水が迫り、越水・決壊の瞬間が目前に迫っていた。
この事態を収めるために、私に返せるものはただ一つだ。この命を捧げて、人の身に余る奇跡の代償とする。それに––もはやこれ以上、この世に望むものはない。
水面を見つめ直す。意を決し、流れに身を投げた。