小説

『夫婦善哉』西村憲一(『夫婦善哉』(大阪府))

 その後、父は家に引きこもるようになり、心身ともに落ち込んでいる様子は端から見ていても痛々しいものだった。食欲もなくなっていく父の様子を見かねて、母は精密検査を受けるよう勧めた。
 医者の診断によると、脳に小さな腫瘍があり、それが記憶の障害を起こしているという。今ならまだ手術で何とかなると言われたので、父は家族のためだと自分に言い聞かせるように手術を選んだ。
 手術後は、なるべく本人に昔の記憶を思い出させたり、新しい刺激をどんどん与えるよう、辛抱強くコミュニケーションを図ることが大切だと医者から言われた。

 母は二人の思い出の場所を選んで、父をよく連れ出した。最初のうちは、二人とも懐かしさで大いに盛り上がった。普段口数の少ない父にしては珍しく多弁になった。機嫌がいいのは何より。昔を懐かしむ父の様子を見て、母は安堵した。
 しかし、時が進むとともに、父の反応は鈍くなり、表情の変化も乏しくなっていく。高校時代よく待ち合わせをした法善寺界隈に連れ出しても、父はあまり興味を示さなくなった。それどころか、人込みをこわがったりした。店に入っても、席に座って、ぼんやりと通行人や観光客の様子をながめているだけ。向かいの席に座る母に、一言も話しかけないこともあった。

 しばらくしてから、私が、父のために何かをしてあげると、そのたびに「えらい、ご親切にどうも」と頭を下げてくるようになった。
 夜遅くまで、リビングで本を読んでいると、トイレから戻ってきた父が、「もう夜も遅いから。ご両親も心配しているはず。もうお帰りなさい」と、話しかけてきた。
 普段あまり会話をすることがない、この私が父にとって最初の「他人」となった。この時のショックは計り知れないものがあった。もっと父といろいろと話したり、思い出をつくっておくべきだったと後悔した。でも、もう遅かった。
 私と違い、母にだけは、まだこれまでと同じ調子で接していた。そんな父と母との関係も、しだいに崩れていった。
 私が父の「他人」となってからおよそ半年後、母も「えらい、ご親切にどうも」と父から頭を下げられるようになった。母は、「あの人からお礼言われたり、頭下げられるなんて変な感じ。気持ち悪いわ」と、笑いながら私には屈託のない笑顔を見せていた。
 その日、台所の片隅で母が泣いているのを、偶然見てしまう。もう時間は止められないのだと、その時悟った。父の症状はそのまま改善することなく、時だけが過ぎていく。

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