小説

『闇の向こうまで』竹野まよ(『耳なし芳一』(山口県下関市))

 浜辺へとつながる砂利道だった。芳一の草履の下で、いびつな石が音を立てて不規則に跳ね返り闇の向こうへと消えていく。芳一は足を止め、お守りを握りしめた。ぬばたまの音は、闇に囚われていた自分を、か細い足が踏みしめているこの場所に引き戻した。潮風が頬をなでる。感覚が徐々に研ぎ澄まされていく。体の不自由さとは裏腹に、水面に投げこまれた小石が生み出す波紋のように世界が広がり、コントロールされた昂揚が眼力の代わりとなっていった。再び歩き出した足取りは力強かった。風がそよぎ、草葉が分かれ、覆い被さっていた木々が月の光を通し、進むべき道を示した。
「あのときとは違う。」
平家の生き様への畏敬の念が芳一の足を進ませた。定められた運命に、自分の力を使い果たそうともがく姿を見た。一人の生き方が別の人の生き方を変える妙を見た。刹那の命が抱いた夢の何と尊いことか。それを今、自分ならば伝えられる。
 芳一は冷たい石の上に座り、静かに大きく息を吸った。
「月が隠れる。」
芳一の体に不気味な寒気が走った。しかし、すでに覚悟を決めた芳一にとって、その悪寒はむしろ肉体の存在を忘れるために必要な感覚だった。月は突然、光を失い、赤黒い石へと変わり果てた。闇夜に浮かぶその姿は痛々しくもたくましく息づいていた。
「さあ、始めよう。」
深く息を吐くと、琵琶をひと掻きした。

うたが見つめる先に銅色の月が浮かび上がった。静けさの向こうから琵琶の音が独特の迫力を持って響いてきた。張りのある声は聞き覚えのある芳一に違いなかった。うたは懐かしさに胸が詰まり、祈るように空を見つめた。その目に映る月は芳一の姿だった。

 沖から黒々とした波が打ち寄せ、芳一のすぐそばまで迫ってきた。芳一は微動だにせず吟じ続けた。冷たい海の底に沈み凍り付いた魂が、その語りに耳を傾けた。芳一は一人一人の生き様を見せ、その者になって心を震わせた。そして、生き尽くした姿を称えた。混沌とした深い淵に、わずかな流れが生まれた。少しずつ、淀んだ水が澄み始めた。やがて魂に月光が届き、天へと導くだろう。芳一にできることはここまでだった。
 芳一は琵琶を抱えたまま力尽きた。全ての音という音が消え、薄氷のような水平線が広がった。

 気づくと、満月に輝く草むらだった。芳一はすっくと立ちあがり、おもむろに赤い袋からぬばたまを掌にこぼすと、辺りに蒔き散らした。その体に誰かがしがみついた。二人を取り囲むようにひおうぎのオレンジの花が一面、鮮やかに揺れていた。

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