小説

『みちびき地蔵』小柳優斗(「みちびき地蔵」(『みちのくの民話 日本の民話 別1』収録)』(宮城県気仙沼大島))

「そうじゃ。絶対に、村に知らせるわけにはいかなんだのよ」
 どういうことじゃ――と、私は息を呑む。父は、深々と嘆息して言った。
「お前らの目に、儂はみちびき地蔵の話をまったく信じてないように見えたろうな。本音は、その逆じゃ。儂は話を聞いてすぐ、翌日に何か大きな災いがあると踏んだ。この村での災いといえば、第一に思いつくのが津波じゃ。だから明日の大潮の日、津波が来ると直感した」
「じゃ、じゃあなぜそれを、村のみんなに知らせなんだのじゃ」
 私は掠れがちな声で尋ねた。すっかり背が丸くなって小さいはずの父が、巨大な影を纏って、とんでもなく恐ろしい怪物になったような幻視にとらわれ、戦慄しながら。
 たやすいことよ、と父は答えて、包み込むようにして持っている湯飲みの水面に目を落とした。
「地蔵の前にならぶ亡者に、儂ら三人の姿がなかったからじゃ」
「――」
 浜吉、と、父は私の名を呼んだ。父に改まって名を呼ばれるのは、いつ以来のことだろう。
「海は、時に人をとる。海には、ある決まった数の亡者がおらねばならぬ決まりがある。何もこの村に限ったことではない。この国のあちこちで言われていることじゃ」
「――」
「儂は常々言ってきた。海で死んだ死人は、海のものだと。だから決して引き上げてはならぬと。引き上げれば――海から奪えば、海はきっと代わりを欲しがって、違う誰かが海にとられる。古来、海とは、そういうものなのだ」
「じゃ、じゃあ、あの時、おッ母が村に知らせていたら――」
「村の何人かは信じただろう。そして儂と同じように津波だと直感するものもいただろう。その結果、地蔵の前に並んだ魂の中で、助かる者がいたとしたら――海はきっと、代わりを欲しがる。そしてその代わりを――村に知らせたお前たちが担わせられることは、じゅうぶんありえた」
 私は絶句して、何も返せなかった。父はこの秘密を、何十年もの間、自分の中に仕舞い込んできたというのか。
「もちろん、命の選別なぞすべきではない。救える命があるならば、儂とて救ってやりたい。儂自身の命なら、くれてやるも吝かではない。だが――その身代わりとなって、お前たちをとられることだけは耐えられなかった。だから儂は――おッ母を止めたのだ」
「――」
「お前の目に、儂の姿が奇妙に映っていたとしたら、それが理由だ。儂は全てを悟っていた。が、傍観した。お前たちを失いたくないがために。そして、村を生き延びさせるために――。それがせめてもの、黙っていることの罪滅ぼしだと、自分に言い聞かせて――」
 後半は涙声になって、殆ど聞き取れなんだが、もうじゅうぶんだった。あまりに恐ろしく、あまりに哀しい秘密――すべては、私たちを守るための罪……。
 ――否、これを罪といえるのか。誰かが、父を糾弾することなどできるのか」
「お前とおッ母が、亡魂の群れに行き会わせたこと――それ自体にも、何らかの天の意味はあったのも知れん。が、儂にって大切だったのは、天命なんぞよりも目の前のお前たちじゃった。お前たちを守るために、儂は地蔵のごとく口を閉ざすよりなかったのじゃ」
 儂を蔑むか、そう父は訊いた。暫くの沈黙を置いて、私は首を横に振った。

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