突然、電話が鳴り、幸子はパタパタと居間にある電話機の方へ駆けていく。それを見届けた薫は足元に置いていたバッグからクリアファイルを取り出した。中には婚姻届が入っている。幸子と向かい合って座っている途中で出すのは気が引けて、鞄の中から出せずにいたのだった。
左側の証人欄さえ埋まれば婚姻届は完成する。仙台から二時間近くかけて花巻へ来たのも婚姻届を仕上げるのが目的だ。薫はそろそろ本題に入りたかった。無言のまま隣に座る直樹を見ると、直樹は小さく頷いた。
薫は姿勢を正して幸子が戻ってくるのを待ったが、戻ってきた幸子は紙袋を直樹に渡した。
「悪いんだけど、今から菊池のおばあちゃんの所行ってあげて。信彦君がお家の整理をしているみたいで、処分する家具を運ぶの助けてほしいって」
「別にいいけど……今?」
「あなたが帰省するって前に話したから、それに合わせてお家の片付けをしたのよ。これ、あなた達が持ってきたお土産、信彦君にも少し持ってって」
「わかった」
「薫さん、ごめんなさいねぇ。そう長くはかからないと思うから」
「いえいえ」
気にしない風に答えてみたものの、薫はこのまま幸子と二人きりになるのが不安だった。何を聞かれても幸子の思うような答えを薫が答えることはできないような気がしていた。
「あ、そうだ。俺が行ってる間、婚姻届の証人欄書いてよ」
薫の心中を察してかどうかは定かではないが、直樹が淡々とした口調で言った。婚姻届があれば、直樹がいなくてもどうにか場をつなぐことができそうだと薫はほっとする。
「はいはい、緊張するわね。きれいに書けるかしら……」
幸子は居間へと引き換えし、引き出しからガサゴソとボールペンを取り出した。
「生年月日、ごまかさずに書いてよ」
直樹は幸子の方を見ずに鋭く言うと、客間から出ていった。