自分だったら、何十年も前の約束を果たしに、恋人の元へ戻る勇気があるだろうか。
何より……、オハナは待っていてくれるだろうか。
そんなことを夢想していたら、ぐらりと目眩がして、前が見えなくなった。
俺はまた、気を失ってしまったのだ。
意識が戻った時、俺はレース越しの陽光がさす、明るい部屋の中にいた。
ベッドの横に膝をついた姿勢で、横たわる女性の手を握りしめている。
すじ張って、薄くなった皮膚の下に、黒々と静脈が透けていた。
年寄りの手だ。
横顔を見て、ひと目でわかった。
この手の持ち主が華子だ。
天狗の「オハナ」だ。
加齢で頬の皮膚にはしわが走り、病のせいでやせ細ってはいるが、鼻すじの通った横顔は俺のオハナに似ている。
安らかな表情で寝息を立てる、彼女の頬は濡れていた。
俺は自分自身の体に戻ったのだ。
安堵したと同時に視界がにじむ。
堰を切ったように、涙がとめどなく溢れてくる。
この体は今までずっと、こらえていたらしい。
寝ている女性を起こさないよう、俺は肩口で濡れたほほを拭った。
自分の体に戻れたということは、天狗とオハナはどうしているのか。
気になったものの、俺は枕頭を離れることは出来なかった。
握った手を解いてしまうと、華子が夢から覚めてしまうような気がしたのだ。
しばらくすると部屋のドアが開いて、泣きはらした目のオハナが入って来た。
天狗は? と問いかけると、彼女は首を横に振る。
「華子の病を取り除くことは、叶わなかった。かわりに『痛み』をこの身に引き受ける」
たったそれだけの言葉を残し、天狗は翼を広げ、いずこかへ飛び去ったという。
窓に目をやる。
レースのカーテンに影が走った。
俺はもう天狗と会うことはない、そんな気がした。
「何十年も誰かを恋するなんて、俺には出来るだろうか」
オハナが、「なに言っているの」と声をあげた。
「私が待つと思う? 7日でも放っておかれたら、清水くんのことなんて忘れるからね」
期待していた返事と違ったが、そうでなければ俺のオハナじゃない。
彼女の顔を見返すと、背後の窓で切り取られた、青空が目に入る。
鳥が一羽、何度も同じところを旋回していた。