小説

『恋するオハナ』はやくもよいち(『とりかへばや物語』)

あきらめに似た感情が、そこに流れ込んでいく。

彼女には「華子」という名の大伯母がいて、若い頃は「オハナ」と呼ばれていたそうだ。
「もう70年も前のはなし。ある娘が、池のほとりで雄々しくて立派な天狗を見たの」

ふたりが出会ったのは、戦争の終わる年の、春のことだ。
たがいにひと目で恋に落ちた。
天狗は娘を連れて行こうとした。
「オハナ、一緒に山で暮らそう」

華子は、「親元を離れたくない」と、首を横にふった。
当時、まだ14歳だった。
「ならば18歳になったら迎えに来る。よいな」

天狗の言葉はそのまま、ふたりの約束となった。

オハナは俺を自分の肩に移し、話を続けた。

戦争の終わる年はこの辺りでも空襲があり、爆撃や機銃掃射が行われていたそうだ。
ある夜、天狗が東京湾の上空を翔けていると、爆撃機の群れが西へ向かうのを見かけ、後を追った。
そのあとに起こったことは、亀の昔話どおりだ。
天狗は大風を起こし、華子の住む地域に爆撃の被害が及ばないよう奮闘した。
だがそのために力を使い果たし、老いさらばえた姿になってしまった。

天狗は山へ還る決意をした。
深山幽谷の霊気を身に蓄えれば、ふたたび元の姿へ戻ると考えたのだ。
華子には、別れを告げなかった。
「大伯母には、縮んでみすぼらしくなった姿を見せたくなかったのかも」

天狗にとって、山に帰っていたのは短い時間だ。
ほんの少し、約束に遅れただけのつもりだった。
でも、ようやく動けるようになった時には、人の世で70年あまりの歳月が経っていた。

天狗は風の便りに、「華子が病気で動けなくなった」と聞き、山を下りて自ら会いに来たのだ。
とっくの昔に忘れ去られているであろう、華子との約束を果たすために。

愛花はハンカチを目元にあてた。
「イッセイの体を借りている、中身は天狗だって言われたとき、すぐに分かったの。……大伯母から何度も話を聞かされていたから」

大伯母の華子は約束を守り、ついに結婚しなかったそうだ。
「俺の体、いや、天狗はどこに?」
「今、ふたりきりで会っているところ」

俺は考え込んでしまった。

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