小説

『北風からの手紙』洗い熊Q(『いちょうの実』)

 終わり? No、No。奥様、これは始まりですよ。

 始まり?

 終わりは集約すれば一度だけ。しかし始まりは貴方の前に幾らでも顔を出す。その余生は、今始まったばかり。
 そう憂いしくも楽しい、人生という名のゲームの始まり――さあ、遊び尽くせ。

 

「……その様なやりとりがあったのを、母は楽しそうに話してました。向こうからは内緒にして欲しいと頼まれたのに」
 女性はふっと出た笑みを俯いて隠した。
「それでそれは間もなく始まったのですか?」
「ええ、始まりました」

 詩を載せたメールは世界中に発信された。端末を問わず。フィルタリングやセキュリティの垣根を掻い潜り、無作為に大多数に。
 機密性の高いソースにも送られた事で、新たなサイバー攻撃かとも危惧された。
 受信したユーザーの中には、それをまた別ユーザーに送信する行為も。チェーンメールの一種として話題にもなる。
 しかも御丁寧に英語、スペイン語、中国語……各国の言語に訳された文面が送られていたのだった。

「私にも送られて来たんですよ。最初は不審に思っても、出だしの文面を見たら驚きました」
「ええ、自分にも送られて来ましたよ」
「それで母に訊いたのですが……もう体調が芳しくなかった時期でした。苦痛に耐えながらも母は笑顔で言ったんです。ああ、本当に願いを叶えてくれたと」
「幸せそうでしたか?」
「ええ、とっても」
 見合って微笑みあった一瞬の合間。そして急に女性の顔が曇り気味になり訊いてきた。
「あの……どうやって母の詩だと分かったんですか? 私、余り詳しくはないので……」
「ああ、元の送信アドレスがお母様のままだったので。後はプロダイバーに問い合わせ……まあ、その辺りの事は詳しく訊かないで下さい。一応、法に則って調査していますが」
「はあ……」
「もし私の事が不審で心配になるなら警視庁にでも問い合わせを。身分は明かせませんが、存在は保証してくれると思います」
「ええ……母の行為が何か犯罪になるのですか?」
 男性は身を起こしついでに大きな溜息を吐いて答えた。
「それはないです。お母様のアドレスが乗っ取られ、詩は盗作された。そう見解されるでしょう。ですがその“北風”は捕まえなければいけません」

 そう厳しい顔で男性は言いながらも。
 北風が舞上げてくれた沢山の手紙を見送りながら、彼女が幸せな顔で静かに息を引き取るのを想像していたのだった。

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