小説

『北風からの手紙』洗い熊Q(『いちょうの実』)

 有り難うございます、奥様。その褒め言葉、素直に頂戴致しましょう。
 不躾に感想を送った私に、その様な言葉を掛けて下さる貴方こそ寛容。
 不躾ついでに申しますが。
 奥様の詩。繊細で優雅で、それこそ慈悲に溢れた文面で感動的ではありますが。
 その文面に隠れ見る、やや御自身の人生を見限った印象が気になりまして。
 好奇心ついでの僭越な意見。もしまだ語られない想いがあるのではないかと。

 本当に貴方様は何もかもお見通しですね。
 今の事情をお話しすると憂鬱になられると思いますが。
 私はもう大分高齢です。少し前までは、それでも年相応以上に日常を楽しめたのですが。
 最近はこれまでの苦労が祟ったせいか、満足に歩くこともままなりません。
 外界の新鮮な空気を吸うさえも出来ないと、唯一の楽しみがこのネットの世界。
 それでもただ小さな画面に全てを求めてしまうと、私の今間での人生は正解なのか。何か後悔ばかりの想いが浮かぶだけ。もしくはやり尽くした感覚なのかも知れません。
 もう瑞々しい清らか刺激など求めることなく、このまま静かに人生を終えるのも。
 でも、それも正しい事なのかどうか。そんな迷いが巡りながら天上を見つめ、そっと目を瞑る日々です。

 ……成るほど。その様な燻った想いが、奥様の詩に薄らとかかる靄に見えるのですね。
 折角です。こうしてお話を伺わせて頂いた仲。また私をお褒め下さった謝礼です。
 私が叶えられる範疇ではありますが、奥様の願いを一つ叶えて差し上げましょう。

 そんな謝礼だなんて。こんな私の為に御苦労を掛けるだなんて。

 No、No。奥様、そんな大層な気遣いなどなく。
 これは“遊び”です。

 遊び?

 そう、お遊び。
 茶目っ気たっぷりに。無邪気に本気で楽しむ。奥様が求めた新鮮で瑞々しい感覚で。
 それがまた貴方の幸せならば、私にも充分な幸せを与えて下さるのです。

 今、貴方様の言葉で思い付きました。いいえ、ずっと描いていたのを思い出したのです。
 貴方様が私の幸せを願ったように。
 私も貴方様の幸せを願いたいと思いました。
 そして世界中の、私の知らない人々にもと。
 叶うのであれば、今の私の願いの言葉を世界中に贈りたいと。

 世界中にと?

 はい、世界中に。

 ……分かりました。その願い、私がお贈り致しましょう。
 奥様が愛を込めて綴った言葉。私がさらりと攫って世界中に届けると致しましょう。

 有り難う御座います。そう言えば長々とお話ししながら、貴方様のお名前をお聞きしておりません。
 もし差し支えなければお教え下さい。

 ……粋な少年。

 少年?

 “未踏の地から来た粋な少年”とお覚え下さい、奥様。

 まあ、まるでピーターパンですね。

 はい。でも奥様。その名は他言無用。もし言えば色々と御不便が生じますもので。

 有り難う、本当に有り難う。貴方様と話せただけでも、もう思い残すことはないかも知れません。
 残り少ない余生。それだけに想いを巡らせて終わっても後悔がありません。

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