「まったく、シーズンでもないのに、なんでツインしか空いてないのかしらね!」
私はイライラした声を出した。
「だって、こんな時間だから断られてもしょうがないでしょ。ここが空いてただけラッキーだったんじゃん」
「そうね。私は明日、別のホテルに移るわ」
背を向けた私を、佳彦は後ろから抱きしめた。
「ちょっと、何するのよ!」
ひょろっと頼りなくても、やはり男だ。私は仰向けにベッドに倒された。
「お願いです。最後にいい思い出を僕にください」
「え?」
「僕、ここで死ぬつもりなんです」
「なんですって!?」
「死んで妻とあの男に後悔させてやるんだ」
佳彦が覆いかぶさってきた。愛撫とも言えない口づけを受けながら、私は怒りが沸々と湧き上がってくるのを感じた。我ながら間抜けな展開だ。若いというだけが取り柄の、思慮が浅い、無駄に明るい男。なんで隣り合わせただけの私を自殺に巻き込むのだろう。
しかし、意志に反して私は私の中が綻んでいくのを感じていた。
あれ? こんなんだったっけ?
高ぶった気持ちが静かに引いていく。
これが長い間私を苦しめていたものの正体だったのか。妻以外の女を求める夫。夫から顧みられず、朽ち果てていく孤独な妻。私に課せられていた暗く重い役割が、まるで大縄跳びをひょいっと飛び越えるみたいに散っていった。自分の順番までは不安を感じつつ待つが、いざ縄を飛び越してしまうと、そこにある爽快感、達成感。それを夫と同じ不倫の果てに得られたのは皮肉だったが、罪悪感は毛ほどもなかった。佳彦とは恋愛感情で結ばれたわけではない。しかし、彼は女としての私を求めた。それが私にある決断を促したのは事実だった。
「志保さん、なんか、ごめん」
私は寝返って佳彦を見た。申し訳なさそうな顔をしている。確かに佳彦と私は似た者同士なのかもしれない。
「ねえ、聞いてくれる?」
「何?」
「私、誰からも必要とされず、自分を殺して生きてきたの。10年もよ。でももうやめた。夫とは離婚するわ。私があの家を捨てるのよ。この先まったく当てはないけど、後悔はしないつもりよ」
私は起き上がり、服を着て口紅を塗った。
「だから、あなたも死ぬなんて言わないで」
頑張って。髪を撫でてやると、佳彦は少し笑って素直に頷いた。
私はボストンバッグを拾い、部屋を出た。駅のベンチで夜を明かすつもりで。駅員に怒られても、ここよりほかの場所に行かなくてはと思った。