小説

『どこにもいかずにここにいる』森な子(『みにくいアヒルの子』)

 その夜、あたしは夢を見た。特別綺麗な白い鳥が、美しく長い羽をはためかせながら、水しぶきを上げてどこかへ飛び立っていくだけの、短い夢。

 翌朝、あくびをかみ殺しながら登校すると、下駄箱のあたりでとんとん、と背中を叩かれた。
「え……カナメちゃん!」
「おはよう、渚ちゃん」
「うわあーっ、制服姿、久々に見た。いつもだっさい部屋着だったから」
「ちょっと! 開口一番それはないんじゃないの?」
 そこにはカナメちゃんが立っていた。制服のシャツを第一ボタンまできっちりしめて、長いスカートは一度も折らずに膝より少し下まで伸びている。
久しぶりに学校でカナメちゃんを見た。ちらちらと、同学年の子たちがあたしたちを興味深そうに見ながら横を通り過ぎていく。
「もう不登校はやめたの?」
「うん。……あのね、昨日、渚ちゃんは私のこと、綺麗な白鳥だって、そう言ってくれたでしょ?」
「うわあ、なんだか改めて口にされると、ちょっと恥ずかしいな……」
「私、嬉しかった。本当に、本当に……嬉しかったの」
 カナメちゃんは言った。
「だからね、私、白鳥として生きていくことに決めたの。みんなはアヒルとして生きていくかもしれないけど、だからって私がみんなに合わせたりはしないの。ぜったい、決して、そんなことはしないの」
「うん、ふふ、いいじゃん」
 あたしたちの会話はきっと、何も知らない人たちが聞いたら意味不明で、頭がおかしいんじゃないかって思われるだろう。そう思うとなんだか可笑しくて、あたしは笑った。
「さあ、じゃあもう行こうよ、カナメちゃん。教室までついていってあげようか?」
「ううん、平気。……あ、そうだ、でもね、渚ちゃん」
「なに?」
「また、先生に私のことを報告するなら、こう言ってほしいの」
 カナメちゃんは、きょろきょろと辺りを見回して、周囲に人がいないことを確認すると、それでも囁くように小さな声で、
「……カナメさんは、学校に復帰したはいいけどまだ不安定だと思うので、来年のクラス替えでは自分と同じクラスにした方がいいかもしれません、って」
「うわっ、ずるしてる!」
「だって! ねえお願い、私、渚ちゃんと同じクラスがいいんだもの。渚ちゃんはそう思わないの?」
「ふふ、わかったわかった、じゃあそう報告してあげる。ものすごおく深刻そうな顔で」
「やった! お願いね」
 カナメちゃんが嬉しそうに笑う。くりくりした大きな瞳が無邪気に緩むのを見ながらあたしは、あ、カナメちゃんは今、ここにいる、と思った。どこか遠くを見つめて、ぼんやりしたりせずに。

 どこにもいかずにここにいる。

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