小説

『盗るが先か、死ぬが先か』霜月透子(『うさぎとかめ』)

 女は散らばった錠剤を両手でかき集め、そのまま口元へと運んでいく。俺は慌てて部屋を飛び出した。

 俺は走った。いい大人が全速力で走る姿は奇異に映るだろう。しかしそんなことはどうでもよかった。少しでも早く。それしか考えられなかった。駅前の人々の視線を感じながらコンビニの前もカフェの前も走り抜けた。あの女が死ぬより早く。生きているうちに。俺は走った。

 
      *

 
 まさに始めようとしたその瞬間、見知らぬ男が入ってきた。
 見たところ私とそう歳の変わらない感じの、三十そこそこの男が玄関先に突っ立っている。黒のシャツに黒のパンツ、スニーカーもキャップも黒だ。全身黒づくめの男。絵に描いたような不審者ではないか。まさか本物の不審者がこんな目立つ格好をするとは思えない。単にファッションセンスのない男だというほうが納得できる。
 男はまだ動かない。
 この部屋の住人だろうか。私は住人の顔を知らない。空き巣の中には事前調査を怠らない者もいるが、私はもっぱら衝動的に行う。ターゲットも直感で選ぶ。留守の確認もインターホンを鳴らすというシンプルな方法だ。
 この部屋も応答がなかったから侵入したが、その時点で留守だからといって出かけたばかりとは限らない。近場のコンビニに行っただけということもあり得る。わかっていたのに、甘く考えていた。いままで捕まらなかったのは、運が良かっただけなのだ。
 しかも今回は仕事を始めるのに手間取った。
 物色しようとした矢先、ローテーブルに足をぶつけてしまい、その拍子に白いタブレットがバラバラとこぼれたのだ。見ればラムネ菓子の容器が三つも転がっていた。
 食べかけなのに蓋をきちんと閉めていない上に、食べきる前に次々と開封してしまうことから、ここの住人はかなり大雑把な人物であることがうかがえる。そのことは私にとって吉だ。多少部屋を物色した痕跡があっても気づかれにくいからだ。
 しかし、さすがにラムネ菓子が散乱していれば、いかに大雑把な人物でも不審に思うだろう。注意をひかない程度には片付けておかなくては。散らばった白いタブレットをかき集め、ひとまずテーブルの上にまとめた。それから容器に詰め直すべく白い山に向き直ったところで、男が現れた。

 出入り口は玄関だけ。けれども玄関には男が立ちふさがっている。視界の端に腰高窓が見えた。幸いここは一階だ。男に取り押さえられる前に逃げられるか。
 迷っている暇はない。私は窓の方に身をよじった。
 背後から男が叫ぶ。
「やめろっ! 死ぬんじゃない!」

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